ウワイト(倭人)大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:30頁
《ギリシャ語の名が残したもの》
「ギリシャ語の名が残したもの」
出発点 原語 訛り 意味 転訛
.リシャ語αγαπη Agape→沖縄語 アガフイ 愛(聖い) アガム 崇拝
◆ 大隈語 アカイ 赤い・明かり アカシ 明石・証
薩摩語 アケ 赤・朱・明 アゲイ 上井・安芸
ぁ 標準語 アカ 赤・垢・銅 アカ 閼伽
ァ.リシャ語Αμφιτριτε→種子島語アーイ 愛 →薩摩語 エ 可愛・藍
Α.僉璽蠍 pemaka →ピーミャ―グァ ペマカ 愛・慈悲 卑弥呼 姫・姫講
А〜長駝勝・・弗薦僞勇薦勇髭繊Akarnania アカルナニア 明姫 と 難波
ギリシャ語 Ακηαια Akhaia アカイヤ 赤と南を意味する古代ギリシャの地名
『古事記』 軽島 明宮は カルシマ アカイヤ 応神天皇皇居 赤(南)の家
大隈語 鹿児之国 明 い家 家 カゴシマ 鹿児島
アカンミヤ
阿神御家 = 宮
オオジン ン
ギリシャ語 オリンピア →沖縄語 ウジンミヤ Ujimmia 倭人(応神)・宇治の宮
ウジン ウチ
ギリシャ語 Ολνμπια Olympia 大神宮 Olympia 鹿児島神宮・宇都の宮
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:29頁
《卑弥呼が生まれたときの名前》
「卑弥呼が生まれたときの名前」
これで卑弥呼の遠近の故郷はつきとめられたから、
次は彼女自身の個人名を探してみよう。
彼女の名をよくみると「卑弥呼」の当て字を生んだ
パーリ語の「ペマカ=愛」の前にあった
アムビ→アイー→愛には、幾つもの好都合な偶然があるから、
幼名が、同じ聖(きよ)い愛の意味をもつギリシャ語だった可能性が考えられる。
「アガぺー αγαπη Agape 愛」。
これは沖縄語の発音では「アガフイ」か
「アガプ→アガム」になる。
この発音は次頁のリストのように、
大隈語、薩摩語、標準語(本土語)と
転訛(てんか)するにつれて生まれた発音が、
全て日本語、仏教用語など、
卑弥呼に関連のある意味をもち、
それ以上にそれらは、
ギリシャの聖地・オリンピアや、
我が国の建国史に直結する首都名や大きい地名として、
今もなお生きている。
これは彼女が、
間違いなくギリシャ語でアガぺーと呼ばれていた、
強い証拠である。
ではこれもギリシャ系の血を引く
ソナカが呼んだ別名だったのだろうか?。
これはソナカに限定する必要はない。
卑弥呼はギリシャ人の子として生まれ、
「光華明彩・六合照徹=遠くからでも輝いて見える金髪」をもっていて、
ギリシャ語を話す人々の中で育ったからである。
彼女はもともと「愛(アイ)ちゃん」だったので、
この地域に流入していた中国人が「愛」と呼び、
種子島でも「アムビ」が抵抗なく「アイー」になった、
とみれば疑念が全て氷解する。
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:28頁
《第二の故郷・台湾に現住するアミ人》
「第二の故郷・台湾に現住するアミ人」
中国経由でないとすると、どんなコースでやってきたのか?。
忘れてならないのは、台湾北部に現住するアミ人である。
このアミの名は大学学講義録31冒頭でお話しした
網・阿見と同じ発音であるだけでなく、
容貌、習俗、服装、土器、楽器にいたるまで、
ギリシャ人の特徴を多くもつ人々である。
また台湾がギリシャ神話の季節の女神ホーライの名をもつ仙境・蓬莱(ホーライ)で、
秦の始皇を魅了したデルポイ総合病院の所在地だったことも、
大学講義録29でお話しした。
このアミ人も沖縄の天(アミ)人と同じく、
アムピトリテを語源にした人々だったことがわかる。
仮にこれを疑うと、
台湾と与那国という肉眼で見える距離=40kmしか離れていない地域に、
どちらも同族のギリシャ系の人々でありながら、
全く別の語源から完全に呼じ発音の国名が、
二つできたことの理由、
という至難の立証が必要になるし、
それ以上に厄介なことにはギリシャ神話には、
姓かにはアミに結びつくような神名はない。
別の語源から全然無関係に二つの
「アミ」が生まれたという立証は不可能だ。
従来は誰でも「批判」できるような思考力のない人がいたが、
「批判」というのは、相手以上の研究結果を蓄積していて、
それと比較して相手の説が劣り、
間違っていると判ったときに主張して
「比べて判定して是正する」行為をいうのであって、
「ただ反対したい」だけというのは、
劣等感の表現にすぎない。
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:27頁
《卑弥呼一族の出身地発見!「名乗り」はギリシャ文化》
「卑弥呼一族の出身地発見!「名乗り」はギリシャ文化」
それだけでなく、
これもまたポセイドンやアムピトリテと全く同じシステムで、
前後二つに分けて名詞化している。
このことも、この断定が正しいことを保証している。
またさらに、
これらの事実は、卑弥呼の一族が、
そのギリシャのアカルナニア出身だったことを教えている。
なぜならそれがポセイドンやアムピトリテなどの神の名なら、
広くギリシャ中に分布しているから、
出身地を特定できず役に立たないが、
このアカルナニアは国名だから、
『魏書倭人章』の倭女王国の旁国名などが、
後世に本州に運ばれたのと同じことで、
移住民が常に移動先につける故郷の名である。
このアカルナニアはその祖国の名が運ばれたものなのだから、
それを名乗る卑弥呼の一族の出身地だとわかるのである。
だから「阿加流比売・難波」と=書かれたものは、
卑弥呼の一族が、
出身地と同じ名をつけた国名で呼ばれていた「名乗り」だった。
これは倭の五王たちの名乗りと全く同じ慣習で、幕末まで続いた。
卑弥呼当時の中国の「孝霊帝・宏」とか「文帝・曹丕(ソウヒ)とは全く異なり、
ただ呉の王族だけが「会稽(カイケイ)王・亮」と地名を名乗っているのに近いが、
これは呉王が大学講義録3でお話ししたように大隅人と同系だったからで、
我が国の伝統文化「名乗り」は中国からきたものではなく、
ギリシャ伝来のものだったことを、
併せて立証して教えてくれたのである。
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:26頁
《卑弥呼がもった一番最初の名乗り》
「卑弥呼がもった一番最初の名乗り」
では卑弥呼の名として
『記・紀』に登場する大日霎の貴やアカルヒメなどの名は、
どういう意味の、いつの名なのであろう?。
ここで彼女の名や名乗りを完全に整理してしまおう。
そのためには、まず最初に明確にしておく必要のある問題がある。
それは彼女がもつ多くの名乗りの内、どれが一番古い、
もとになった名詞だったかを確認しておかないと、
結論を狂わせるからである。
それは意外にも、
これまで最も軽視されてきたアカルヒメだった。
阿加流比売(大学講義録14の28頁参照)は、
『古事記』応神天皇記中の『天の日矛』の注に、
小さく「難波(ナニワ)の比売碁曾の神の名」と書かれた
「比売碁曾(ヒメゴソ)=卑弥呼尊(ヒメゴソ)」の別名である。
このアカル姫という名前は誰でも日本語だと思うし、
さらにナニワ=難波・浪速は、
一層、日本的な地名にみえると思う。
だが実は、この名乗りと地名の二つとも、
これまた海外からやってきた名で、
やはりギリシャ語の名詞だったのである。
古代ギリシャ帝国の最西端にあった国の名は
「Ακαρνανια Akarnania アカルナニア国」。
原音はナニアだが、
当て字の難波・浪速の「波・速」が「ハ」と読まれたために、
私たちが助詞の「ハ」を「ワ」と発音するように
「ナニワ」になったと簡単にわかるから、
「アカル」「ナニワ」の語源は、
この国名・アカルナニアだったと、
明確に断定できるのである。
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:25頁
《難解名詞は「当て字差」が生み出しただけのもの》
「難解名詞は「当て字差」が生み出しただけのもの」
孝霊天皇の『三国史記』名・
伯固(ハッコ)とその下の
発岐(ハッキ)と、
その別名・抜奇(バッキ)を見比べると、
みな同じ名の変化したものだとわかる。
伯固はハッ木をハツコと読み、
抜奇はバツキと濁ったもので、
羽月(はつき)という地名と同じ名乗りだから、
代々世襲されたものだとわかる。
国牽と国襄は大学講義録17で詳しくご説明した。
于氏と卑弥呼は長くなるので後回しにして
次の発岐は伊佐郡の羽月だから
伊佐・五(イ)十狭(サ)芹に合う。
泄謨觚柄渠觚は「シモカビンチウカ」で
「シモキビツヒコ=下吉備津彦」を
帯方郡使が聞き書きしたもの。
次の「稚屋(ちおく)姫」は南九州発音で「チオッ」だから、
「イチヨ」の「チヨ」だけしか聞きとれなかったもの。
次の日子刺肩を彦狭島と比べてみると、ヒコサシまで同じだから、
次の肩の字は「マ」への当て字が間違って「肩」になったもの、
その形で、それは「馬(マ)」だったことがわかる。
それがなぜ位宮か。
狭島はタンネ島=種子島。
位宮は狭穂彦として種子島王になった。
彼はまた壹與を立てて女王にしたから
新「卑弥呼の父」=卑弥弓呼素(ヒミカンカソ)とも呼ばれた。
次の罽須(ケヒズ)は「吉備津=キビツ=キヒズ」を
「気比津」と当て字したものをケヒズと読んで
「笥飯津=ケヒツ・ケヒズ」と当て字を変えたのと同じものである。
応神天皇が「名替え」した
気比(ケヒ)大神=御食津(ミケツ)大神(記)・
笥飯(ケヒ)大神(紀)は、この名乗りなのである。
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:24頁
《孝霊一族全員『魏書倭人章』と『三国史記』に掲載》
「孝霊一族全員『魏書倭人章』と『三国史記』に掲載」
これで『魏書倭人章』ではわからなかった
卑弥呼政権の実体や内情、
高句麗王家の内幕が見えた。
卑弥呼がその王家の一員で、
父の孝霊天皇が高句麗の支配者だったこと、
伊声耆も位宮もその孝霊系譜中の人物らしいことなどが、
さらに見えてきたからである。
その名乗りを、
各文献にある同一人らしい名乗りと比較して、
割り振ってみよう。
『日本書紀』 『古事記』 『三国史記』 『魏書倭人章』
大日本根子彦太瓊(孝霊)大倭根子日子賦斗邇(フトニ) 新大王伯固
大日本根子彦国牽(孝元)大倭根子日子国玖琉(クル) 故国川王国襄 男弟
倭迹迹日百襲姫 夜麻登登母々曽昆売 于氏王后 卑弥呼
彦五十狭芹・吉備津彦 比古伊佐勢理(セリ)毘古 発岐・抜奇 泄謨觚柄渠觚
倭迩迩稚屋(チオッ)姫 倭飛羽矢若屋比売 赫居世(イヨ) 壹與
彦狭(サ)島 日子刺(サシ)肩別(寤(サメ)間)位宮 卑弥弓呼素
稚武彦 若建日子吉備津日子 罽須(位宮) 狗右智卑狗
『魏書』「東夷・高句麗」 伯固(ハッコ)の2子 抜奇―馬交位居(赫居世?)
伊夷模=男武=故国川王国襄―位宮
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:23頁
《「無い」ことも強力な証拠になる言語復原史学》
「「無い」ことも強力な証拠になる言語復原史学」
またその鏡を一方的な視点だけからみて、
猥喪(わいせつ)な化粧道具としか見なかったのが、
新羅の国名のもとになった
シーラ・バッガ(戒律)派の教義だった。
そのため韓国南東部を占めた半島新羅の遺跡からは鏡が出土しない。
皆無ではないが
それはシーラ・バッガ派以外の反対勢力の遺跡が少数混じっているからで、
原則的には鏡を排斥していた史実を十二分に立証している。
この国名と教義名の一致。
鏡が遺物の中にない教義との一致。
始祖王とする赫居世(女王・壹與)を同じく教義に合わせて
男王に変えている『三国史記』新羅本紀。
これだけでも新羅の国名と教義の関係は明かである。
唯物史観に基づく発掘考古学は、存在するものだけに囚(とら)われて、
「無いもの」は何の証拠力ももたないが、
私たちの言語復原史学は、
このように「無いもの」も強固な証拠になることを、
よく比較してご認識戴きたい。
沖縄語では「津」も「チ」と発音するから、
十市(トオチ)に遠津(トオチ)と当て字できる。
卑弥呼時代には、そこは魏使が「投馬」と書いているから、
馬(マ)=国(マ)で、国として扱われていたことがわかる。
その投馬まで伊都国から南へ「水行20日」、
ぴったりトカラ列島までの所用日数に一致する。
これらの十市・掖上・秋津島を在来の学者は全部、奈良県にあるとして済ましていた。
もちろん、
その十市の語源がギリシャ神話にあることなど、
想像すらしなかったのである。
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:22頁
《神武天皇当時には地図があった我が国》
「神武天皇当時には地図があった我が国」
だが現実に沖縄本島へ行ってみると、
大きくて、とてもそこがトンボに似ているなどと、
わかるものではない。
神武天皇がその国の形を見て秋津洲(しま)と呼んだのは、
小島ではなかったことを物語っている。
だから天皇は地図を見て、そういったのである。
卑弥呼の鏡は光通信と日時計と
土地測量用の器具として貴重品だったと、
40年前から講義し、
私(加治木義博)者『邪馬臺国の言葉』以下の著書に書き、
テレビでも繰り返し説明してきたが、
それは古墳や遺跡や記念物をメートルに一致する尺度で測量した直線上に配列したり、
対馬と壱岐の間を1000里と測量しているように、
早くから実用化していたし、
正確な地図も作っていたのである。
皇室の三種の神器も在来の説のような迷信による「象徴」ではない。
すべて不可欠の文明の利器として役立っていたのであり、
だからこそ神聖視されていたのであって、
野蛮な段階の人が意味もなく恐れ奉る迷信の象徴やトーテム同様に扱い、
説明してきた在来の学説は、
それこそ大した知性もない野蛮な段階の学者が、
漫然とコジ付けただけのものに過ぎない。
それは三種の神器の持ち主を故(ゆえ)もなく軽蔑させたばかりでなく、
私たちの祖先に事実無根の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せて、
世界の人々に未開野蛮な異教徒のイメージを植え続けてきた。
私(加治木義博)が我が国の史実の解明に生涯をささげたのは、
こうした悪と戦い、一掃するためにはかならない。
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《神武天皇当時には地図があった我が国》
「神武天皇当時には地図があった我が国」
だが現実に沖縄本島へ行ってみると、
大きくて、とてもそこがトンボに似ているなどと、
わかるものではない。
神武天皇がその国の形を見て秋津洲(しま)と呼んだのは、
小島ではなかったことを物語っている。
だから天皇は地図を見て、そういったのである。
卑弥呼の鏡は光通信と日時計と
土地測量用の器具として貴重品だったと、
40年前から講義し、
私(加治木義博)者『邪馬臺国の言葉』以下の著書に書き、
テレビでも繰り返し説明してきたが、
それは古墳や遺跡や記念物をメートルに一致する尺度で測量した直線上に配列したり、
対馬と壱岐の間を1000里と測量しているように、
早くから実用化していたし、
正確な地図も作っていたのである。
皇室の三種の神器も在来の説のような迷信による「象徴」ではない。
すべて不可欠の文明の利器として役立っていたのであり、
だからこそ神聖視されていたのであって、
野蛮な段階の人が意味もなく恐れ奉る迷信の象徴やトーテム同様に扱い、
説明してきた在来の学説は、
それこそ大した知性もない野蛮な段階の学者が、
漫然とコジ付けただけのものに過ぎない。
それは三種の神器の持ち主を故(ゆえ)もなく軽蔑させたばかりでなく、
私たちの祖先に事実無根の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せて、
世界の人々に未開野蛮な異教徒のイメージを植え続けてきた。
私(加治木義博)が我が国の史実の解明に生涯をささげたのは、
こうした悪と戦い、一掃するためにはかならない。
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:21頁
これには、さらに有力な傍証がある。
それは前記の十市の県主・天足彦国押人(孝安天皇の兄)と、
弟の日本足彦押人(孝安天皇)とが生まれ育った皇居は「掖上」にあったと
2人の父・孝昭天皇の元年の記事にある。
『魏書倭人章』には
「掖邪拘(ヤジャカウ)」という壹與の側についた率善中郎将がいて、
八坂(ヤザカ)王であることはご存じの通りだが、
その名乗りに該当する地名は
「屋久(ヤク)・邪久(ジャク)・狗奴(クノ)」以外にないし、
その島国の王の蔑称が「疫神(ヤクジン)=スサノオ」で、
彼を祭っている神社の名が「八坂神社」。
どこからみても掖邪拘は屋久島王である。
すると十市に結びつく「掖上」は「ヤジャウ」への当て字で、
それは「掖邪王(ヤジャウ)」すなわち屋久島王だから、
そこに隣り合う十島が十市であり、
十島(トシマ)とは「十市国(トシマ)」と読んだ後世の当て字である。
だから東京都の豊島(としま)もアムピトリテ女神の名の子孫だったことがわかる。
また孝安天皇の皇居は「秋津島の宮」である。
アキツは沖縄語が語源の蜻蛉(トンボ)のこと。
神武天皇が取った秀真(ホツマ)国を形容して、
「蜻蛉が臀呫(となめ)する(大きいトンボの仲間は時々下半身を曲げて
尻端を嘗(な)める)姿に似ている」と言ったことから
「秋津洲(しま)という名が生まれた」と『日本書紀』が書くが、
沖縄本島はいかにも尾を曲げたトンボを右横から見たような形をしているが、
日本列島全体を精密に見ても、そんな島は他にはない。
孝安の秋津島は沖縄本島だったことになる。
《孝昭・孝安の皇居は屋久島と沖縄本島》
「孝昭・孝安の皇居は屋久島と沖縄本島」
出典:加治木義博『言語復原史学会』大学講義録31:21頁
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