出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録34:20頁
だから、この確認で判明したことは、
1 稗田阿礼が「読み習った」のは、
2 『日本書紀』に使われた、
3 「文字記録」だったこと。
4 それにはすでに「埿土煮」と当て字してあったこと。
5 稗田阿礼はそれを「ウ・ヒジ・ニ」と記憶していたこと。
6 しかし本当はパーリ語で「ドゥルドハルシャ」と読むように
「埿土煮」と書いてあったのだ。
7 だから埿土煮を「フトニ」と読み損なったのは稗田阿礼ではない。
8 孝霊天皇の名を「フトニ」と書いた人物である。
9 だから彼はそれが『古事記』の神名の「ウヒジニ」だとは知らない。
10 それは神の名としてではなく、天皇名として書かれていたからだ。
11 だから彼はその文字が良くないと考えて、
綺麗な文字の「太瓊」に書き換えた。
『日本書紀』の天皇たちは皆、好い字を選んで書き換えてあるから、
12 彼は『日本書紀』の筆者の一人である。
13 ところが、悪い字の「埿土煮」が生き残った。
それは天皇名ではなく神名としてだ。
14 それを稗田阿礼が「ウヒジニ」と読み損なったのだから、
『神代紀』についても、
『日本書紀』の記事の方が、
『古事記』より先にあったことが確認できる。
15 ところが『古事記』も『日本書紀』と同じ発音で
「賦斗邇・フトニ」と書いている。
16 これで「神代」は『日本書紀』の記事の筆者が創作して、
それを『古事記』が真似て改作したものだと証明できた。
在来は『古事記』の方が先で、天地開闢の神が異なるのも、
『古事記』の方が正しいとする人が多かったが、
17 『古事記』が筆頭に掲げた「天の御中主」は、
『日本書紀』に反発、対抗して書き加えたものだったと、
はっきり断定できたのである。
以上で、在来の『記・紀』の「
読み方」が間違っていたことが、
よく解りいただけたと思う。
それはパーリ語の存在など、考えもしていない。
それが本書でこれからお話しする。
日本の建国史の真相を、まるで見えなくしていたのである。
「読み方」など、少々間違っていても大したことはない、
思われ勝ちであるが、
私たちの祖国の歴史、
ことに建国史には絶対許されない罪だと言っていい。
この章をながながとお話ししたのはそのためでもある。
あとは簡単に説明しよう。
『参考』
小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
シュメル−人類最古の文明
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
ウワイト(倭人)ウバイド
http://matmkanehara-momo.blogspot.com/
歴史回廊(遷都)
http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/
出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録34:19頁
『記・紀』が別の文字を使っているのは、
書かれた記録がなかったことを証明している。
それは「口伝え」で伝承された証拠である。
『古事記』の序文には、
天武天皇が稗田阿礼(ひえたあや=ピューテーヤ への当て字)に命じて
「よみ習わしめ給いき」とある。
読んで記憶させたのであって、
書かせたのではないという証拠である。
だから『記・紀』の文は記憶していた物語を語らせて、
それを聴きながら文字を当てて筆記して、
初めて書物として残したものである。
もちろん稗田阿礼も「よみ習った」のだから、
もとの書き物があったことは間違いないが、
それは『記・紀』のような完成した書物はなくて、
メモ程度の木簡でしかあり得ないし、
また語り部が代々語り継いだ
「言葉だけのもの」もあったのである。
その稗田阿礼が「よみ習った」のは『古事記』だから、
この名を「ウヒジニ」と発音したのである。
ところがそれは、
『日本書紀』に書れている「埿土煮」を「ウヒジニ」と
読んで記憶していたものだったから、
筆記者は「宇比地邇」と当て字したのである。
ところが、それは、「恐ろしい」という意味を持った
パーリ語の「ドゥルドハルシャ」に
「ドゥル=泥、ド=土、ハル=?、シャ=煮」
と当て字したものだった。
この神名の
『日本書紀』と『古事記』との違いは、
これ以外の理由では起こらない。
『参考』
小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
シュメル−人類最古の文明
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
ウワイト(倭人)ウバイド
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録34:18頁
しかし念のため『古事記』の当て字の方も、
よく検討してみよう。
「埿・ウ、土・ヒジ、煮・ニ」になるが
埿はどんなにしても「ウ」とは読めない。
しかし私は、埿は漢音デイだから、
大の南九州方言「デイ」とみた沖縄語人が、
大を「ウ」と発音したのだと気づいた。
ところが、埿の字は「堡」の間違いだとして、
ホトニと読む学者が出た。
これは私と考えは違うが、
別の大きな問題を解いてくれたのである。
沖縄語ではo音はu音になるからホはフになる。
するとこれは「フツニ尊」だから欠史天皇の中の孝霊天皇が
「大日本根子彦 太瓊(フトニ)尊(『日本書紀』)、
大倭根子日子 賦斗邇(フトニ)(『古事記』)」の、
固有名詞の部分
「太瓊・賦斗邇 どちらも フトニ」に完全に合っている。
この天皇は系譜だけしかないが、
卑弥呼だと言われる倭迹迹日百襲姫の父だから、
天照大御神の父で、イサナキの尊に当たる。
神の位置に入っていても別に不思議ではない。
古代にも泥の字は「堡」の間違いだとした人がいたのである。
この結論には疑う余地がないから、
つぎは神と人とに分裂した理由を考えよう。
これは、どちらが元の名だったか?わかればいい。
『参考』
小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
シュメル−人類最古の文明
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
ウワイト(倭人)ウバイド
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録34:17頁
「フジ=ブッディ=仏陀の」「チ=帝・王」=『仏教王』。
すなわち、釋迦またはソナカ=仲哀天皇あるいは、
その上の仏教宣布団の長
(『天の稚彦伝』では高木の神)意味しているから、
これは我が国の「建国功労者」を神として特記したものだと判る。
するとこの名に続く名の内にも、
やはり建国功労者である可能性のある名がみえてくる。
それは、それらの名の語源が、パーリ語よりも古代天皇名に、
より近いことが、ひと眼みて判るからである。
しかし次の2つの神名には、ぴったりのパーリ語がある。
即断せず慎重に見ていこう。
漢字の当て字=埿土煮尊
この名は『古事記』が宇比地邇神と書くので、
これまでウヒジニノミコトと読まれてきたが、
埿をドロ、土をド、煮をシャと読むと、
パーリ語の「ドゥルドハルシャ」によく合う。
「ドゥル=泥、ド=土、ハル=? シャ=煮」である。
これは「恐ろしい」という意味である。
しかし、煮は「シャ」ではあるが、
「ハルシャ」ではないから、
『日本書紀』では、
春、張、晴などが一字ぬけているのか、
省略したのか解らない。
しかし語源がパーリ語であることは
これ程一致することはあり得ないから、
全く疑いの余地はない。
『参考』
小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
シュメル−人類最古の文明
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
ウワイト(倭人)ウバイド
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録34:16頁
漢字の当て字=豊斟渟尊
この第三の神は「フジンテイ」という発音になっている。
豊はホーだが沖縄では「フ」と発音する。
斟は「ジン」渟は「テイ」だからである。
しかパーリ語にはこのフジンティに合う言葉はない。
F.Hで始まる言葉はなく、
P.Bで始まる言葉だけがある。
その中から探してみるとフジに変わる
原音としてブッダ(仏陀)がある。
これにはブッディという活用があり、
eがiに変わる沖縄語だと、ブジーになる。
『記・紀』編集当時は
『百人一首』でお解りのとおり清音時代だから、
とくに語頭には濁音は使わない。
だからブはフになる。
これを理解すると大阪にある藤井寺(でら)は、
ブッデイ(仏陀の)寺ということだったと判るし、
藤原京という名が(仏陀の)都を意味していたこともわかる。
次の「ン」は助詞の「ノ」だから、
残る「テイ」は何か?。
沖縄語では「テイ」は「チ」で、
標準語の「キ」に当たるので、
イサナキなどの王称の語尾に多い「キ」だ。
これはテイ・デイ・ティを「帝」と訳し、
沖縄語で「チ」と発音したものを、
九州・本州人が「キ」と発音したものと考えると、
なぜ?王称の語尾がキとチなのかの謎が解ける。
『参考』
小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
シュメル−人類最古の文明
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
ウワイト(倭人)ウバイド
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歴史回廊(遷都)
http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/
出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録34:15頁
当時の人々はナガラを地名と外国語だとも思わずに、
「都」という自国語として使い、
国民も不思議に思わなかった。
これで当時の我が国ではパーリ語が、
日常語の中で使われていたことが、
お解りいただけたと思う。
そこでパーリ語の中から、
次の神名の
漢字の当て字=国狭槌尊
に合うものを探してみると、
プラサズチーという言葉がある。
「狭槌=サヅチ」に「サズチー」だから、
文字で書けば「ツとズ」の違いはあるが、
耳で聴けば同じである。
こちらは国常立より、もっとうまく当て字しているから、
この着目が正しいと確信できる。
意味は、辞書には「卓越・称賛」など挙げてあるが、
どちらも「素晴らしい」という意味だから、
夜空を飾るプレアデス星団の和名「スバル」と同じ性格の命名である。
光り輝く神の次に、
卓越した(優れた)褒め讃えられる
「素晴らしい神」が生まれたというのである。
『参考』
小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
シュメル−人類最古の文明
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
ウワイト(倭人)ウバイド
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録34:14頁
漢字の当て字=国常立尊
パーリ語で都市をプラという。
卑弥呼当時は、
『魏書倭人章』(魏志倭人伝というのは間違い)に、
「国」として書かれている伊都国や多くの旁国はみな、
今の都市に当たるから都市は国を意味している。
そこで、この神名の「国」に「プラ」を当てて、
パーリ語の熟語を見てみると、
プラジャーターという形容詞がある。
国にプラ、常にジャー、立にターで、
万葉式にジャーに常(ジヨー)を、
ターに立(タ)を当て字していると見ると非常に合理的だし、
プラジャーターとは「光り輝く」という意味だから、
『旧約聖書』の「初めに光ありき」とも完全に同じである。
しかしまだ
まさか『記・紀』編集当時の我が国に、
パーリ語があったとは信じられない方も多いと思うので、
まずその疑念から払っておこう。
大化改新当時の考徳天皇の皇居は、
大阪市にあって「長柄豊崎の宮」と呼ばれているが、
このナガラという地名もまた
パーリ語の「ナガラ=都・都市・市」に一致する。
だから長柄豊崎の宮とは、
二つの地名を二重に重ねたものでなく、
今の東京都式に「豊崎都」という首都を表現する名だったのである。
『参考』
小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
シュメル−人類最古の文明
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
ウワイト(倭人)ウバイド
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録34:13頁
『日本書紀』は、この神名を
国常立尊は<クニノトコタチノミコト>。
国狭槌尊は<クニノサツチノミコト>。
豊斟渟尊は<トヨクムヌノミコト>と読んで、
国常立尊とは、「国土の永久の出発を意味するらしい」。
国狭槌尊の解説はなくて、
豊斟渟尊は『古事記』の豊雲野の神に当る。
「名義は不詳であるが、穀物の聖霊らしい」と解説している。
しかし後でお話しするように、日本語の研究を読けるうちに、
それまで純粋な日本語だと思っていた言葉の中に、
大量のインド語が混じっていることがわかった。
そのうちでも古代インド語で、
今は仏教用語としてしか使われないパーリ語が、
3000語以上もの日本語と共通点をもつことがわかり、
その原因が単なる仏教教育によるものではなく、
大量のパーリ語を話す人々が日本にやってきた結果だと判った。
それは何時のことか?と歴史を検討した結果、
卑弥呼の時代に、仏教を広めるために、
大勢の人がやってきて土着した事実があり、
それを『記・紀』が多数収録していることも突き止めた。
それがこの本で詳しくお話しする
ソナカ=仲哀天皇の史実なのだが、
そこで天地開闢の神名もパーリ語で書かれたものとして
改めて読んでみた。
すると、次のように間違いなく、
それはパーリ語の名前であり、
それに漢字を当て字したものだったという
事実が確認できたのである。
ご覧いただきたい。
『参考』
小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
シュメル−人類最古の文明
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
ウワイト(倭人)ウバイド
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歴史回廊(遷都)
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録34:12頁
今の我が国では、大多数の人が、
人間は死ぬと『仏』になるという常識のようなものをもっている。
これは何時からか仏教が浸透したためだとわかるが、
神道しか信じない人は、人が死ぬと「神」になると考えている。
そんな考えを与えたのは神道の神官たちだが、
この『神』とはどんなものなのか?…。
在来の学者たちは
『記・紀』の『神話』に登場する神は死んだ人ではなく
「宇宙空間に存在する『霊』のようなものが、
人の姿で現われたもの」だろうという考えで、
論文を書き、教えてきた。
しかし次の、私の発見をご覧いただくと、
そうした学者の考えが、根本から間違っていたことが、
はっきりお判りになる。
『日本書紀』の「神代上」に
「天地開闢(かいびゃく)の初め、天地の中に一物が生まれた。
それは葦の芽のような形をしていて神に化したのを
「国常立尊」と名付ける」
次に「国狭槌尊」。
次「豊斟渟尊」の合計三神。
これが「乾道は独化し、純男で成る所以だ」という記事がある。
これを在来はどう教えていたか?。
大同小異だから、その代表的なものを挙げると、
朝日新聞社発行の、
武田祐吉校註、新村出・久松潜一・高木市之助・山岸徳平・小島吉雄、監修
『参考』
小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
シュメル−人類最古の文明
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
ウワイト(倭人)ウバイド
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歴史回廊(遷都)
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出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録34:9〜11頁
「貴方は祖国がいつ生まれたかさえ御存知ない」、
こう言うと怒り出す人がいる。
貴方も
「神武天皇の橿原即位年の2月11日建国記念日にきめられている。
年は不正確でも、ほぼ紀元ごろだという。
建国の時期は不明じゃない」と反発なさると思う。
だが、あとでお話しするように、
本当の建国紀元は今から2000年前なんかではない。
少なくとも西暦紀元前6000年。
いまから8000年前までさかのぼることが判ったのである。
神武天皇は、そんなに大昔の人ではない。
『日本書紀』が書く二千六百数十年前ではなくても、
西暦紀元前後の人だとされてきた。
ところがそれも間違いで、
本当は3世紀の卑弥呼と同じ時代の人だと私が立証した
(ロングセラーズ刊『卑弥呼を攻めた神武天皇』)。
それを疑って書き換えた人はいないから、
これはもう動かない定説になっている。
だから8000年前に建国したのは神武天皇ではない。
建国者が誰かは不明だが、我が国が当時から存在していた証拠が、
続々と大量に発見されたのであ。
だがここでお断りしておくが、
この本はそれをお話しするのが目的ではない。
順序として、
これまでウソだとされてきた応神天皇以前の天皇たちが実在だったこと、
さらにはそれ以前の『神話』だとされてきた部分の神々もまた、
やはり実在した建国の功労者たちだったことを、
後に疑いが残らいように立証して
『古事記』『日本書紀』(『記・紀』)が
どんなに立派な記録だったか常識にしていただき、
それを海外の人々にもお話しできるようにしたり、
これまで間違って扱かわれてきた本当の先祖たちの霊に、
心からの感謝を捧げていただきたいのである。
人知はどんどん進む。
過去の史実もそれにつれて明らかになってくる。
人類史も万年単位で解明され、
原人時代からの進化経路が明確になったように、
世界の国々の歴史もどんどん詳細に復元されてきた。
その根拠になった史料にも、
「発掘考古学によるもの=例えば我が国にも、
石器、縄文、弥生、古墳といった時代区分ができる文化変遷の証拠=
出土品や遺物・遺跡群があり、それらの大半が全世界共通の起源をもつ人と
文化の交流・移動・伝播の歴史によるものだったことを立証していて、
現在の人類分布の過程と真相が判るもの」や、
「文献史学によるもの=例えば我が国の『記・紀』や、
中国の各時代の正史などのように、
国や人々の動きがより具体的に記録説明されているもの」などがあって、
今では世紀単位で明確に解明され、説明されていて、
その大筋には全く疑問の余地がない。
それらによれば、いま日本と呼ばれている国に住む国民も、
永い年月の間に世界各地からの移住者が次第に融合したもので、
決して地球誕生の初めから、
日本列島だけに発生して、現在まで住み読けたという、
かつて『単一民族』などという、実在しないものへの
「いい加減で幼稚な」名称で呼ばれたような、孤立した、
不可解で奇妙な集団ではないことは、小学生でも判る。
だから、『記・紀』が書く「天地初発」の時に、そこに発生した神々が、
日本人の唯一の先祖であり、
海をへだてた国の国民は、たとえお隣の韓国や台湾の人たちでも、
絶対に血のまじわらない
「赤の他人」「異民族」なんだという、
戦前の「神国思想」が
どんなに愚かな妄想に過ぎなかったか、
よくお解りになっているはずである。
それなのに現実には、昭和末に時の首相が、
「我が国は単一民族国家だ」と発言して
平気でいたという哀れな現状であり、
かなりの数の国民が、今も、それに近い認識しかもっていない。
それは国史学が
『記・紀』さえ正しく読めない人々によって占領され、
学生たちはいい加減な解釈を教育され続けてきたからである。
だから現状では肩書きは何の権威ももっていない。
ことに建国史に関して過去の知識はマイナスだったことが、
本書をお読みいただくと、簡単、明瞭に、即座にお解りになる。
『参考』
小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
シュメル−人類最古の文明
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
ウワイト(倭人)ウバイド
http://matmkanehara-momo.blogspot.com/
歴史回廊(遷都)
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