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   歴史回廊(遷都):オリエント(ウバイド・シュメル)
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 ウバイドは「遷都」し続けたのか?

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録35
   :6頁

 これで「何故?ウバイドの移動は遷都なのか」、

 とその理由がお解り頂けたと思う。

 それをいま少し補強すると、それは女帝国の膨張であって、

 意識した移住でも、遷都でもなく、

 さらなる繁栄のための、開拓の連続だったのである。

 それまでの生活圏の外に新たな農耕敵地がみつかると、

 人々はそこへ移住して水源を調査し、

 田畑の設計をして、開拓にとりかかる。

 その間の食料や、衣料、農機具、生活用具といったものは、

 指導者が供給し、補給し続ける。

 だからそれを担当する役人が必要になり、

 役人の給与も必要になる。

 こうして納税の原形として雇調制度が生まれてくる。

 ウバイドではそれが8000年前には出来上がっていて、

 開拓地の拡大とともに、政府も女帝も遷って行ったのである。

 この発想は農業本来のものではない。

 羊などの食用獣を放牧して、

 食草を追って移動し続けるシステムが基礎にある。

 だから居住には簡易なテント状のものが適している。

 わが国の居住遺跡が、円形の基礎を残し、支柱を斜めに組み合わせて、

 上端を縄で束ねてあるのは、

 樹木の豊富な我が国式のテント建築なのであって、

 決して貧困のせいではなかったのである。

 それは農耕生活に入る前の放牧生活の知恵の活用であり、

 皇室が欧米の絢爛豪華な大宮殿と異なる質素な木造家屋を選んできたのも、

 全てこの歴史の証人なのだ。

  『語句説明』 
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『農耕民族』
 『放牧民』
 『歴史上にあらわれる主な遊牧民集団』

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『ウバイド』

 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

 出典:Category:Mesopotamia - Wikimedia Commons
 『Category:Mesopotamia』

 『参考』
歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都

小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書

オックスフォード大学東洋学科シュメル文学

シュメール古代史:Ancient Sumer History in Mesopotamia

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『メソポタミア』
 『古代オリエントの地名一覧』
 『メソポタミア神話』
 『古代オリエントの用語一覧』

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(2008/04/30(水) 15:54)

 なぜ我が国が倭人(ウバイド)帝国の首都に選ばれたか?
 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録35
   :5頁

 カルデアは、ウバイド文明圏の先進国、天測を発明した海運国で、

 私(加治木義博)が発見した稲敷郡(茨城県)から殷墟までの霊域ラインは、

 彼等が実測したことを立証している貴重な有形文化財である。

 彼等は夏の時代に、すでに九州はおろか東日本でも活躍して、

 水郷茨城を開拓しつつ中国に大帝国を作るほどの交易と往来をしていた。

 それは彼等が「商」を国名にした程、大規模だったのである。

 ウバイドはそのままで倭売奴、大買奴だったのだ。

 これが解ると、ウバイド文明の古さと巨大さ、

 そしてわが国が何故?

 その中心になったのかが理解できる。

 それは沖縄海域が貝貨用の小型宝貝の世界最大の宝庫だったことと、

 大市場である中国への往来に好条件の揃った、

 気候温暖で水田農業の最適地、四面環海で天国の要塞だったこと、

 船や家屋を作るのに最適な森林が豊富で、

 中近東出身者たちには、

 天国のような好環境が揃っていたことがことなどである。

 もちろん、その前には台湾が選ばれていた。

 カリエン・カレンが居住した証拠に、

 花蓮港(カレンこう)という大港湾都市が残っている。

 それが球球列島に拡大したので

 小さな沖縄を「大琉球」と呼び、

 台湾は小琉球に転落した。

 しかしウバイド本来の水耕農業には不適なので、

 その敵地を求めて、

 さらに九州から本州へと遷都し続けて現代に至ったのである。

  『語句説明』 
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『新バビロニア』カルデア
 『殷墟』
 『殷墟遺跡』考古用語辞典
 『有形文化財』
 『夏』
 『殷』
 『台湾』
 『花蓮県』
 『琉球諸島』


 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『ウバイド』
 『殷墟』
 『霊域ライン』北緯36度線
 『カルデア』
 『カリエン』『カレン』
 『花蓮』

 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

 出典:Category:Mesopotamia - Wikimedia Commons
 『Category:Mesopotamia』

 『参考』
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 『メソポタミア』
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 『メソポタミア神話』
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(2008/04/30(水) 10:07)

 『詩経』が二重に立証している殷人=隼人

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録35
   :4頁

 ではそのインダというウバイドでの原名は何だったのか?。

 それは農産の神・イナンナ女神から来ていることは、もうご存じの通りで、

 それがイネ=稲の語源にもなっている。

 イナンナ、稲ん女(な)、稲ん田(だ)、イナダ、イヌダ、インダであって、

 これからさらにイン=殷が生まれたこともお話しした。

 この殷が夏王朝を倒したことも、『魏書』の烏丸・鮮卑・東夷の条の冒頭に

 「書(『尚書・書経』)は
 
  「蛮夷は夏を猾(みだ)す」と載せ、

  詩(『詩経』)は
 
  「儼允(ケンイン)は孔熾と称して久しい」とあって、

 夏王朝が実在したこと、

 それを倒したのが儼允(ケンイン)であることを証言しているが、

 このケンは犬(けん)、インも犬(いぬ)、

 中国語発音と南九州語発音を並べて書いてあるということに注意がいる。

 なぜなら卑弥呼の都があった隼人出身者は、
 
 のちの大和朝廷の儀式では『犬吠え』をして奉仕し、

 犬人と呼ばれていたからである。

 殷人は犬人で隼人だったのである。殷帝国をつくり、

 貝貨幣の力で栄えたその貝貨幣産業は、
           
 沖縄を中心とする

 高族(高麗(たから)人=カリエン=カルデアン)のものだったのだから、
 
 沖縄語が濃く入り混じる大隅語を話す隼人=海人と、

 夏を倒した航海者・殷人は疑いもなく、

 インダ、イヌダと呼ばれた同じ犬人で、

 倭隼人(倭=ウバイド)そのものだったのである。

 また貝も中国語でバイ、倭貝奴・大貝奴と書いてもやはりウバイドなのだ。

  『語句説明』 
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『ウバイド文明』
 『イナンナ』 『イシュタル』
 『魏志倭人伝』魏書倭人(ウワイト)章
 『尚書・書経』
 『詩経』
 『殷』
 『夏(三代)』

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『ウバイド』
 『イナンナ』
 『イシュタル』

 『地図』

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 『メソポタミア世界』

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 『Category:Mesopotamia』

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 『メソポタミア』
 『古代オリエントの地名一覧』
 『メソポタミア神話』
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(2008/04/30(水) 07:06)

 インダス文明のルーツ常識を覆したパーリ語

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録35
   :3頁

 ウバイドから出発した人々が、

 モヘンジョ・ダロへ入ったことの証拠の数々は、

 以前ご説明したが、

 その一帯の地域が何故?

 今もインダスと呼ばれているのか?は、

 まだ未説明だし、

 それがウバイド女帝国の一部だったという

 決定的な証拠もまだ提示していなかった。

 メソポタミヤにはウバイド以後、多数の分国が生まれて、

 それぞれ特徴のある政体をもったが、

 そこで栄えた国々の大半は武装した男系国家が多く、

 インダス地方に侵入したのも、

 その武力によるものだろうというのが、

 世界の学者の常識になっていた。

 これではどんなに遺跡文化が共通していても、

 インダスはウバイドの遷都先だと

 主張するには決定的証拠に欠ける。

 だがこの欠陥を埋めるものが、

 パーリ語の中に見つかった。

 パーリ語の「インダ」は『女帝』という意味である。

 だからインダスとは女帝の国という名の広大な地域を意味している。

 ではインダスという地名はパーリ語によって命名されたのか?。

 ウバイドは8000年前で、

 インダス文明は約5300年前、

 ずっと後だから、

 インダという女帝国家が先にあって、

 男帝国家群と対照されて「女帝国家」という特色が

 際立つ時代に入ったために、

 インダス文明よりも

 さらに後世の言語であるパーリ語中に、

 インダ=女帝国家という

 新語が加わったのだという筋道は、

 誰にもすぐ判る。

  『語句説明』 
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『モヘンジョ・ダロ』
 『ウバイド文明』
 『インダス文明』
 『メソポタミア』
 『パーリ語』南伝仏教経典

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『ウバイド』
 『インダス文明』
 『インダ』
 『パーリ語』

 『地図』

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 『Category:Mesopotamia』

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(2008/04/30(水) 02:00)

 大理想はウバイドのイザナミから

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :30頁

 その大理想とは、

 ウバイドで確立した女帝制度の根底にあるもの、

 人類はすべて母たちの腹を痛めた分身だという認識である。

 そして女帝から観れば万民は全て我が子だという母性本能の昇華が、

 のちに紛争解決のためには死を選んだ卑弥呼の偉大なる慈悲として、

 彼女を観世音菩薩として崇める新宗教感にまで高め、

 それは全中国からインド周辺諸国にまで広まって、

 太陽の国の女帝からの連想で、

 「天照大神=太陽」の光鉾(こうぼう)を

 全世界に差し伸ベる母性の手と観想して、

 巨大な慈悲とそれを具体的に行動に移す諦観と手段と文化を、

 器具、物体を握り締めた手の像で示す、

 新たな仏像「千手観世音菩薩像」を生み出したものでもある。

 その淵源はウバイドが富み栄えるにつれて、

 利権の奪い合いが発生し、

 母性愛だけでは治世が難しくなったとき、

 民を守るには暴力もやむを得ないとするイサナキと、

 絶対平和を主張するイザナミが対立。

 分離していった男帝制国家と、

 初志を貫いた女帝制ウバイドとに主権が分かれた、

 この大理想は、そのイザナミから延々と承け継いだものなのである。

 それは天智天皇に破られたが短期で復元し、

 以後、幕末までは曲りなりに維持してきた。

 今では人々も成長して世界国家を夢見はじめた。
 
 果たして人類はどちらを選ぶのか?。

 『語句説明』 
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『卑弥呼』
 『天照大神』
 『観音菩薩』観世音菩薩
 『千手観音』
 『イザナミ』
 『イザナギ』
 『天智天皇』


 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『ウバイド』

 『地図』

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 『Category:Mesopotamia』

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(2008/04/29(火) 13:34)

 神社参拝を激減させる佐伯説と亜流

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :29頁

 だが、この宗教家という点では、佐伯教授の景教徒説も同じである。

 なぜそれが間違いなのか?。

 それが大変な時代錯誤以下、

 多くの真実を見落とした迷説だったことは、以上のとおりだが、

 雅楽の東儀氏も秦民の子孫であると認め、誇りに思っていると言われた。

 それは大半の神官家が秦氏の一族で構成されていて、

 その祖先が娘皇帝だからなら解る。

 だが佐伯説が本当なら、

 同族との争いに負けて流れて来たユダヤ人の子孫で、

 神社は神官の金儲け宗教だということになり、

 参拝する人を激減させることは間違いない。

 佐伯説と、それを宣伝して一般読者を迷わせてきた頭記の本の著者らには、

 さらにより大きな見落としがある。

 それは一神教のユダヤ教やキリスト教からは、

 絶対に神道は生れないからである。

 その理由は、一神教は偉かな主張の差で、同族同宗でも仇敵視し、

 皆殺しにした偏狭な宗教だからだ。

 景教徒もその実例だし

 『旧約聖書』自身が誇らしげにそんな虐殺を記録しているし、

 フランスなどで実行された魔女狩りは隠しようもない。

 この正反対にを祭るのが天皇家の神道である。

 その実例が秦氏で、重要な神職を全部任せ、

 行事も祭礼や山車(だし)をインドや

 東南アジアなどから偏見なく取り入れている。

 それは秦氏が持ってきた秦(シン)の宗教より、

 遥かに高く強力な大理想が、

 根底にあるためなのである。

 『語句説明』 
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『秦氏』
 『ユダヤ教』
 『キリスト教』
 『神道』 
 『仏教』
 『旧約聖書』
 『雅楽』
 『東儀家』
 『八百万の神』神 (神道)
 『山車(だし)』

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『秦氏』
 『徐福』

 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

 出典:Category:Mesopotamia - Wikimedia Commons
 『Category:Mesopotamia』

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 『メソポタミア』
 『古代オリエントの地名一覧』
 『メソポタミア神話』
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(2008/04/29(火) 13:27)

 証拠は神道が「秦道」に見える宗教活動

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :28頁

 だがなぜ「徐福」かをご説明しよう。

 それはのちの秦氏の一族が、宗教家であり、

 また宗教関係の仕事に通暁し、携さわっているからである。

 京都の松尾(まつのお)大社を建立したのは、秦(はた)の都理であり、

 賀茂神社も秦氏から出た鴨氏が建て、金比羅宮も白山神社も一族が建てているし、

 全国の八幡杜の元締め辛島氏もやはり秦氏の一族で、神道=秦道に見える。

 また前記の経師や寺院関係者もいる。

 これは宗教家だった徐福にはできるが、始皇帝にはできない。

 弓月の君らは徐福の後継者に教育されて、初めて宗教家になれたのである。

 ここで残る謎は、

 彼等が新羅と百済のどちらから応神帝の都に移ったか?

 という疑問である。

 在来は新羅といえば朝鮮半島の東南隅にしか無かったと

 思い込んだ学者ばかりがいたが、

 本学の皆様は、

 それが薩摩半島の開聞(ヒラキキ)=枚聞から、

 白日別=筑紫に移り、

 その後、朝鮮半島に移って全半島を支配したことを、よくご存じである。

 羅は国の字と同じ名詞で、国名ではないから

 新はシン、

 秦もシン、

 新羅=秦国で同じものだったのである。

 白日別は沖縄読みするとシラヂッビチ、

 このチをキにするとシラギッビキ、

 白木津日木=シラギのヒコと読める。

 これは沖縄から薩摩南部に来たという名前である。

 その薩摩には吹上浜という地名がある。

 フッキアゲは福王(フッキ)上りだから彼の上陸地を意味する。

 『語句説明』 
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『徐福』
 『松尾(まつのお)大社』
 『賀茂神社』 
 『鴨氏』賀茂氏 
 『金比羅宮』金毘羅神社 
 『白山神社』 
 『八幡神』八幡神社 
 『宇佐神宮』辛島氏
 『吹上浜』 
 『薩摩』 
 『枚聞神社』開聞神社
 『筑紫』
 『新羅』
 『百済』
 『後百済』
 
 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『秦氏』
 『徐福』

 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

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 『メソポタミア』
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 『メソポタミア神話』
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(2008/04/29(火) 11:28)

 その文化は、むしろ徐福のもの

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :27頁

 ただ始皇帝の何世孫といっても単純ではない。

 何といっても阿房宮に美女三千を侍らせた男である。

 それに行方不明とは言っても、徐福が数千人の人を連れて、

 我が国めざして来たというのも事実である。

 その時は皇女が来ていて、

 南中国では、天照大神がその皇女だということになっている。

 その後の海上交通の発達を考えると、

 情報は充分届くから、在来のような隔絶感はない。

 それなのに彼等の消息は、不明のまま現在に至っているのだ。

 これは秦氏が除福たちではないと誤認された場合しか、あり得ない。

 でなければ人口の少なかった時代に、

 数千人の大群が行方不明になれば、

 それこそ全世界にニュースになる。

 それは電波はなくても船があったからだ。

 船のサイズは小さくても、

 フェニキヤの船の壁画でご覧のような大船が、

 始皇帝(B.C.E.221年即位)より前のB.C.E.700年には、

 世界の海を走り回っていたのである。

 スサノオはそれよりもさらに千年ちかく前に我国まで来ていた。

 こうした事実を在来の教師たちが知らなかったために、

 誤った世界観しかなかったに為ぎない。

 それなのにニュースにならなかったのは、

 徐福たちは難民として

 「新羅」に住みついたので誰にも特別視されずに済み、

 安全を見極めてから秦氏として、

 応神天皇十四年に来朝帰化し、

 太秦(うずまさ)の号をもらう程に改めて繁栄を極めたのである。

 『語句説明』 
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 『始皇帝』
 『阿房宮』
 『天照大神』
 『徐福』

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『秦氏』
 『徐福』

 『地図』

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(2008/04/29(火) 09:13)

 真実、秦氏は間違いなく始皇の一族

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :26頁

 中国の県は郡の下にあるから、我が国の今の県のように大きくはないが、

 それでも百二十七県の人民といえば、大変な数になる。

 それが真実だったことは、普通なら肩身が狭く、

 ひっそりと消滅してしまうのが一般の、

 哀れむべき流れ者だったはずの彼等の子孫が、

 我が国の土着名門の子弟よりも裕福に栄え、

 はるかに多くの記録を残している事実が、強く立証している。

 その人達が普、功満王、融通王を始皇帝の子孫と認めていたのである。

 そして王の指示に従って、不安を乗り越え、危険を冒して、

 未知の、遠い、しかも絶海の島国へ大移動してきたのである。

 その引率者が偽者の王であると知っていたら、とてもついてはこない。
                      
 もとは王族だといっても秦(シン)が滅びて漢になり、

 それも前漢が滅びて後漢になり、

 三国時代になり、

 五胡十六国時代になり、

 それが互いに食い合って昨日の勝者は

 今日は敗者といった未曾有の大動乱時代である。

 それなのに一度ならず、二度までも我が国へ帰化して来たというのは、

 引率者の祖先、始皇が、かつてない巨大な帝国を築いた余光が、

 まだ強かったためだとみる以外に理由は考えられない。

 また天皇も必ず真偽を確かめたはずである。

 大乱の時代に異国から大群が押し寄せるのを許すのは、

 充分な配慮の結果なのである。

 『語句説明』 
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『秦』
 『始皇帝』
 『前漢』
 『後漢』
 『三国時代(中国)』
 『五胡十六国時代』

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『秦氏』

 『地図』

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 『メソポタミア世界』

 出典:Category:Mesopotamia - Wikimedia Commons
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 『メソポタミア』
 『古代オリエントの地名一覧』
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(2008/04/29(火) 00:40)

 秦氏(はたし)は始皇帝の子孫

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :25頁

 こうして徹底的に、秦氏はユダヤ人ではなく、

 景教徒でもなかったことが立証され続けると、

 では彼等は何だったのか?という最終的な疑問に行き着く。

 この答もまた、やはり『日本書紀』に詳しく書いてあるし、

 『新撰姓氏録』などにもその子孫たちの消息が詳細に記録されていて、

 『書紀』が書く素性が真実であることを、大量に立証し続けている。

 『日本書紀』誉田(応神)天皇十四年の二、

 「是の歳、弓月君 百済より来帰。因って奏して曰う。

  臣、己れの韓の人夫、百二十県を領して帰化せんとす。

  然るに新羅人これを拒むに因りて皆。加羅の国に留めらる。

  これを聞いて天皇は葛城襲津彦を加羅に派遣し、

  弓月の人夫を召させたが、三年を経ても襲津彦は帰って来なかった。」

 『新撰姓氏録』左京諸蕃上。

 「秦の始皇帝の十三世孫・孝武王の子・功満王、仲哀天皇八年来朝帰化。

  その子・融通王(弓月君)、応神天皇十四年来朝帰化。太秦公宿弥の祖也。

 『三代実録』

 元慶七年十二月、右京人・秦宿祢永原、秦言。

 秦氏は秦の始皇十二世孫・功満王の子・融通王の苗裔で、

 功満は占星して翌朝に深向、遠く日域を志したが、

 新羅が路をはばみ王都を隔てしも、陽を仰ぐ心、空しからず、

 天誅くだって罪人を伐ち、官軍塵を払って、

 百二十七県の人民、誉田天皇十四年、歳次・癸卯、ここに内属し焉わる也。

 『語句説明』 
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 『日本書紀』
 『新撰姓氏録』
 『弓月君』
 『始皇帝』
 『日本三代実録』

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『秦氏』

 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

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 『Category:Mesopotamia』

 『参考』
歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都

小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書

オックスフォード大学東洋学科シュメル文学

シュメール古代史:Ancient Sumer History in Mesopotamia

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 『メソポタミア』
 『古代オリエントの地名一覧』
 『メソポタミア神話』
 『古代オリエントの用語一覧』

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(2008/04/29(火) 00:01)

 フェニキヤ文化の東方伝播コース

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :24頁

 図: メソポタミア文明の東方伝播

 「彩文土器のコース」 

 ハッスーナ(5000B.C.)→アルボルズ山脈・イラン(ドルメン)(4500B.C.)→

 中国領・トルキスタン (3900B.C.)→フェルガーナ→ヤンチャオ・

 仰韶(4000〜3000B.C.)

 ハッスーナ(5000B.C.)→バクーン(4000B.C.)→シスターン(4000B.C.)→

 ハラッパ・インダス文明(3500B.C.)→中国領・トルキスタン(3900B.C.)→

 フェルガーナ→ヤンチャオ・仰韶(4000〜3000B.C.)

 ハッスーナ(5000B.C.)→バクーン(4000B.C.)→シスターン(4000B.C.)→

 ハラッパ・インダス文明(3500B.C.)→東インド(ドルメン)→

 東南アジア(ドルメン)→浙江省(ドルメン)→ヤンチャオ・仰韶(4000〜3000B.C.)

 ◆セットになった(彩文土器文化)

 1 彩文土器

 2 甑形土器(こしき)

 3 石包丁

 4 土・石製腕輪

 5 日乾し粘土のコマ

 6 イネ(英国のマロワン氏アッシリアの稲発見)

 7 ドルメン(史石墓)

 8 女神像

 9 言語

 10 文様

 『語句説明』 
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 『フェニキヤ』フェニキア
 『メソポタミア』メソポタミヤ
 『イランの歴史』
 『土器』
 『ドルメン(史石墓)』
 『アルボルズ山脈』
 『トルキスタン』
 『フェルガナ』
 『仰韶文化』
 『スーサ』スサ
 『インダス文明』
 『スィースターン』シスターン 
 『ハラッパー』

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『フェニキヤ』 『フェニキア』
 『メソポタミヤ文明』『メソポタミア文明』
 『スサ』『スーサ』
 『インダス文明』

 『地図』

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 『メソポタミア世界』

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 『メソポタミア』
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 『メソポタミア神話』
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(2008/04/28(月) 19:53)

 古代の文化・文明は一方通行ではない

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :23頁

 こうして名乗りや称号を分析してみると、

 それらがどの地域で使われ、記録されたかがよくわかるものが多い。

 このことも言語復原史学の機能の一つである。

 この地域の差は、形の上でも現われる。

 たとえば兜布のもとになった一本角は、

 夥しい変異を生み出しているから、

 それを入念に観察すると、

 それがどこからどこへ伝播したかという伝播ルートが分かる。

 一本角はバビロンの神・マルドゥクの神竜像や、

 そのイシュタル門のレリーフにも明瞭にみられるから、

 インドのマカーラが先ではない。

 在来の古代交通観とは違って、

 交通・通商は質も量も速度も大きかった。

 だから文化の伝播は決して一方通行ではない。

 下の写真も、商人や宗教家が、

 往復とも商品や思想を運んでいたことを物語っている。
     
 3 仏壇飾り(ネパール)
 4 玉製一角獅子(中国)
 5 麒頭(中国明代)
 6 神棚用コマイヌ(日本江戸時代)
 7 麒麟燭台(日本江戸時代)
 8 シンハ(ネパール)
 9 螺角獅子頭(日本江戸時代)
 10 麒頭(中国唐三彩) 
 11 麒頭(中国隋唐時代) 

 『語句説明』 
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 『マルドゥクと竜(ムシュフシュ)』
 『イシュタル門』


 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『ムシュフシュ』マルドゥクと竜
 『イシュタル』

 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

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 『メソポタミア』
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 『メソポタミア神話』
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(2008/04/28(月) 18:51)

 解けた「宿祢とは何か?」という謎
 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :22頁

 このことで、もう一つ国史の中で大きな位置を占めている「宿祢」とは、

 どんな意味をもっ名詞かという謎が解けた。

 武内宿弥はスサノオで、

 屋久島に初めて杉を植えた人物だ王であったことは間違いないから、

 古代皇族の名乗りにたくさん見られる

 「足」や「根」の称号で呼ばれても不思議ではない。

 「祢」は、その「根」とみて間違いない。

 では「宿」は何のことか?。

 鹿児島語では杉は「スッ」である。

 そして宿もまた「スッ」である。

 指宿は「イブスッ」と聞こえる。

 だから「宿祢」も、「杉根」も、どちらも「スッネ」である。

 ただ杉根は、「杉の木の根っこ」ではなくて、

 「杉の王」を意味していたのである。

 こう解ってみると

 スサノオ=猿田彦=大人弥五郎=武内宿祢の関係は、

 同一とみて微動だもしない。

 それはもちろん名乗りの上だけのことで、

 屋久島にレバノン杉を植えたスサノオと、

 壹與=神功皇后を助けた武内宿弥は時代が千年も違い、

 別人であることはいうまでもない。

 宿祢と同じものに「足尼」がある。

 こちらはソクニだから大隅人だとソクはスッになる。

 ニもネの大隅語。

 これはスッネという発音を聞いて、大

 隅人が当て字をつけたものという ことになる。

 さらに南九州ではスッネは「少ない」でもあるから少名彦名の命でもある。

 『語句説明』 
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 『屋久島』
 『レバノン杉』
 『縄文杉』

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『屋久島』
 『レバノン杉』
 『縄文杉』
 『地図』

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 『メソポタミア世界』

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(2008/04/28(月) 12:53)

 猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :21頁

 これで大人弥五郎は、間違いなく猿田彦だとわかる。

 しかし何故?名が違うのだろう?。

 大隅語の発音は「ヤクルドン」である。

 私にはそれは屋久郎ドンと聞こえる。

 こんな顔をした屋久島王といえば、

 そこに杉を植えたスサノオもそれに該当する。

 大隅では弥五郎は武内宿祢だともいう。

 宿弥は高族=カリエンで、宝貝を貨幣として中国に売って、

 その富で商帝国=殷を樹立した一族の、長の名乗りである。

 これでフェニキヤ人が屋久島へ来た時期も判った。

 それは縄文杉の年輪と共に貝貨幣と

 殷の発掘物とそこに書かれた文献史料という、

 莫大な物証をもっていたからである。

 屋久郎ドンは海人の王だから、

 船の王であり、海原を支配した神・マカーラでもある。

 その容貌は、まさしく中近東の人である。

 とすれば、

 兜布はフェニキヤ人の船乗りのもので冠の一種だったのである。

 それが冠だった証拠もまた大量にある。

 それは江戸時代まで実用品だった武士の礼装用の冠で、

 浅野内匠守が刃傷の場で額につけているあれである。

 これは新羅の王も全く同じものを着けていたことが、

 出土品の陪葬騎士像ではっきり判る。

 それは兜布とは形が違い、はるかに複雑な形になっているが、

 額の前方の同じ位置に着け、紐を顎で結んで止める。

 兜布を基に考案、心理的効果を狙って改良進化したことが判る。

 『語句説明』 
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 『フェニキヤ』フェニキア

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『フェニキヤ』 『フェニキア』

 『地図』

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(2008/04/28(月) 11:37)

 兜布のルーツと一本角文化の様相

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :20頁

 その実物や関連資料のレプリカなどは、

 私(加治木義博)も多数コレクションしていて、

 加治木義博著『日本人のルーツ』(保育杜カラーブックス・1980年刊)に、

 代表的な写真が掲載してあるので、是非ご高覧を賜わりたいが、

 ここにはその一部を掲載しておく。

 その一本角は小さく、まさに兜布を頂く位置に生えている。

 ことに鹿児島県大隅町の、大人弥五郎どん祭りの、

 この面のものは、まさに兜布そっくりである。

 図:大人弥五郎の巨面

 図:ジャワ・バンカラン

 図:一本角の鬼

 『語句説明』
 弥五郎伝説の里 - 曽於市
 『大人弥五郎』 

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『大人弥五郎』

 『地図』

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(2008/04/28(月) 10:19)

 史学の証拠になるもの、ならないもの

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :19頁

 現在、イスラエル人が頭に着けているからといって、

 それで「兜布はイスラエル人のものである証拠だ」という類いの論文に、

 よくお目にかかるが、その程度ではいけないということが、

 このフェニキヤ海人のものだった、という結果でよく解る。

 それは少し考えれば当然のことで、いま私たちは洋服を着ているが、

 だから先祖は西洋人だという証拠にはならない。

 これと同じことは、辞書や百科事典でも起る。

 この兜布とは何なんだろう?と辞書を引くと、

 「修験者のかぶる小さい頭巾。山中遍歴の際、

  瘴気に触れるのを防ぐ為に被るという。

  法身不変を表示する黒白の布で造り、十二因縁に象って十二の襞(ひだ)を設け、

  紐で顎に結びとめる」と書いてある。

 だが、それは頭巾にしては余りに小さく、またなぜ?
 
 頭を覆わずに額に着けるのか?という肝心の理由が書いてない。

 ところが、私たちは、それは海人たちのものだと知っから、

 この疑問にも正しく答えることができる。

 沖縄の語源・ウチナーは大天で天竺、すなわちインドから来ているが、

 そのインドの海に注目すると、海の聖獣はマカーラである。

 これは神々の王・ビシュヌーの化身の一つだが、

 その特徴は額にある一本角である。

 中国ではその一本角が死者を護る象徴とされ。

 人面や獣の頭につけられた副葬品が多数出土している。

 『語句説明』 
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『沖縄方言』
 『修験道』
 
『十二因縁』
 『麒麟獅子』一本角

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『マカーラ』
 『ビシュヌー』
 
 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

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