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   歴史回廊(遷都):オリエント(ウバイド・シュメル)
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 大理想はウバイドのイザナミから

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :30頁

 その大理想とは、

 ウバイドで確立した女帝制度の根底にあるもの、

 人類はすべて母たちの腹を痛めた分身だという認識である。

 そして女帝から観れば万民は全て我が子だという母性本能の昇華が、

 のちに紛争解決のためには死を選んだ卑弥呼の偉大なる慈悲として、

 彼女を観世音菩薩として崇める新宗教感にまで高め、

 それは全中国からインド周辺諸国にまで広まって、

 太陽の国の女帝からの連想で、

 「天照大神=太陽」の光鉾(こうぼう)を

 全世界に差し伸ベる母性の手と観想して、

 巨大な慈悲とそれを具体的に行動に移す諦観と手段と文化を、

 器具、物体を握り締めた手の像で示す、

 新たな仏像「千手観世音菩薩像」を生み出したものでもある。

 その淵源はウバイドが富み栄えるにつれて、

 利権の奪い合いが発生し、

 母性愛だけでは治世が難しくなったとき、

 民を守るには暴力もやむを得ないとするイサナキと、

 絶対平和を主張するイザナミが対立。

 分離していった男帝制国家と、

 初志を貫いた女帝制ウバイドとに主権が分かれた、

 この大理想は、そのイザナミから延々と承け継いだものなのである。

 それは天智天皇に破られたが短期で復元し、

 以後、幕末までは曲りなりに維持してきた。

 今では人々も成長して世界国家を夢見はじめた。
 
 果たして人類はどちらを選ぶのか?。

 『語句説明』 
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 『天照大神』
 『観音菩薩』観世音菩薩
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 『イザナミ』
 『イザナギ』
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 『関連語句』歴史回廊(遷都)
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(2008/04/29(火) 13:34)

 神社参拝を激減させる佐伯説と亜流

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :29頁

 だが、この宗教家という点では、佐伯教授の景教徒説も同じである。

 なぜそれが間違いなのか?。

 それが大変な時代錯誤以下、

 多くの真実を見落とした迷説だったことは、以上のとおりだが、

 雅楽の東儀氏も秦民の子孫であると認め、誇りに思っていると言われた。

 それは大半の神官家が秦氏の一族で構成されていて、

 その祖先が娘皇帝だからなら解る。

 だが佐伯説が本当なら、

 同族との争いに負けて流れて来たユダヤ人の子孫で、

 神社は神官の金儲け宗教だということになり、

 参拝する人を激減させることは間違いない。

 佐伯説と、それを宣伝して一般読者を迷わせてきた頭記の本の著者らには、

 さらにより大きな見落としがある。

 それは一神教のユダヤ教やキリスト教からは、

 絶対に神道は生れないからである。

 その理由は、一神教は偉かな主張の差で、同族同宗でも仇敵視し、

 皆殺しにした偏狭な宗教だからだ。

 景教徒もその実例だし

 『旧約聖書』自身が誇らしげにそんな虐殺を記録しているし、

 フランスなどで実行された魔女狩りは隠しようもない。

 この正反対にを祭るのが天皇家の神道である。

 その実例が秦氏で、重要な神職を全部任せ、

 行事も祭礼や山車(だし)をインドや

 東南アジアなどから偏見なく取り入れている。

 それは秦氏が持ってきた秦(シン)の宗教より、

 遥かに高く強力な大理想が、

 根底にあるためなのである。

 『語句説明』 
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 『秦氏』
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 『キリスト教』
 『神道』 
 『仏教』
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 『雅楽』
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 『秦氏』
 『徐福』

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(2008/04/29(火) 13:27)

 証拠は神道が「秦道」に見える宗教活動

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :28頁

 だがなぜ「徐福」かをご説明しよう。

 それはのちの秦氏の一族が、宗教家であり、

 また宗教関係の仕事に通暁し、携さわっているからである。

 京都の松尾(まつのお)大社を建立したのは、秦(はた)の都理であり、

 賀茂神社も秦氏から出た鴨氏が建て、金比羅宮も白山神社も一族が建てているし、

 全国の八幡杜の元締め辛島氏もやはり秦氏の一族で、神道=秦道に見える。

 また前記の経師や寺院関係者もいる。

 これは宗教家だった徐福にはできるが、始皇帝にはできない。

 弓月の君らは徐福の後継者に教育されて、初めて宗教家になれたのである。

 ここで残る謎は、

 彼等が新羅と百済のどちらから応神帝の都に移ったか?

 という疑問である。

 在来は新羅といえば朝鮮半島の東南隅にしか無かったと

 思い込んだ学者ばかりがいたが、

 本学の皆様は、

 それが薩摩半島の開聞(ヒラキキ)=枚聞から、

 白日別=筑紫に移り、

 その後、朝鮮半島に移って全半島を支配したことを、よくご存じである。

 羅は国の字と同じ名詞で、国名ではないから

 新はシン、

 秦もシン、

 新羅=秦国で同じものだったのである。

 白日別は沖縄読みするとシラヂッビチ、

 このチをキにするとシラギッビキ、

 白木津日木=シラギのヒコと読める。

 これは沖縄から薩摩南部に来たという名前である。

 その薩摩には吹上浜という地名がある。

 フッキアゲは福王(フッキ)上りだから彼の上陸地を意味する。

 『語句説明』 
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 『徐福』
 『松尾(まつのお)大社』
 『賀茂神社』 
 『鴨氏』賀茂氏 
 『金比羅宮』金毘羅神社 
 『白山神社』 
 『八幡神』八幡神社 
 『宇佐神宮』辛島氏
 『吹上浜』 
 『薩摩』 
 『枚聞神社』開聞神社
 『筑紫』
 『新羅』
 『百済』
 『後百済』
 
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 『徐福』

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(2008/04/29(火) 11:28)

 その文化は、むしろ徐福のもの

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :27頁

 ただ始皇帝の何世孫といっても単純ではない。

 何といっても阿房宮に美女三千を侍らせた男である。

 それに行方不明とは言っても、徐福が数千人の人を連れて、

 我が国めざして来たというのも事実である。

 その時は皇女が来ていて、

 南中国では、天照大神がその皇女だということになっている。

 その後の海上交通の発達を考えると、

 情報は充分届くから、在来のような隔絶感はない。

 それなのに彼等の消息は、不明のまま現在に至っているのだ。

 これは秦氏が除福たちではないと誤認された場合しか、あり得ない。

 でなければ人口の少なかった時代に、

 数千人の大群が行方不明になれば、

 それこそ全世界にニュースになる。

 それは電波はなくても船があったからだ。

 船のサイズは小さくても、

 フェニキヤの船の壁画でご覧のような大船が、

 始皇帝(B.C.E.221年即位)より前のB.C.E.700年には、

 世界の海を走り回っていたのである。

 スサノオはそれよりもさらに千年ちかく前に我国まで来ていた。

 こうした事実を在来の教師たちが知らなかったために、

 誤った世界観しかなかったに為ぎない。

 それなのにニュースにならなかったのは、

 徐福たちは難民として

 「新羅」に住みついたので誰にも特別視されずに済み、

 安全を見極めてから秦氏として、

 応神天皇十四年に来朝帰化し、

 太秦(うずまさ)の号をもらう程に改めて繁栄を極めたのである。

 『語句説明』 
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 『始皇帝』
 『阿房宮』
 『天照大神』
 『徐福』

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(2008/04/29(火) 09:13)

 真実、秦氏は間違いなく始皇の一族

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :26頁

 中国の県は郡の下にあるから、我が国の今の県のように大きくはないが、

 それでも百二十七県の人民といえば、大変な数になる。

 それが真実だったことは、普通なら肩身が狭く、

 ひっそりと消滅してしまうのが一般の、

 哀れむべき流れ者だったはずの彼等の子孫が、

 我が国の土着名門の子弟よりも裕福に栄え、

 はるかに多くの記録を残している事実が、強く立証している。

 その人達が普、功満王、融通王を始皇帝の子孫と認めていたのである。

 そして王の指示に従って、不安を乗り越え、危険を冒して、

 未知の、遠い、しかも絶海の島国へ大移動してきたのである。

 その引率者が偽者の王であると知っていたら、とてもついてはこない。
                      
 もとは王族だといっても秦(シン)が滅びて漢になり、

 それも前漢が滅びて後漢になり、

 三国時代になり、

 五胡十六国時代になり、

 それが互いに食い合って昨日の勝者は

 今日は敗者といった未曾有の大動乱時代である。

 それなのに一度ならず、二度までも我が国へ帰化して来たというのは、

 引率者の祖先、始皇が、かつてない巨大な帝国を築いた余光が、

 まだ強かったためだとみる以外に理由は考えられない。

 また天皇も必ず真偽を確かめたはずである。

 大乱の時代に異国から大群が押し寄せるのを許すのは、

 充分な配慮の結果なのである。

 『語句説明』 
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 『秦』
 『始皇帝』
 『前漢』
 『後漢』
 『三国時代(中国)』
 『五胡十六国時代』

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(2008/04/29(火) 00:40)

 秦氏(はたし)は始皇帝の子孫

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録36
   :25頁

 こうして徹底的に、秦氏はユダヤ人ではなく、

 景教徒でもなかったことが立証され続けると、

 では彼等は何だったのか?という最終的な疑問に行き着く。

 この答もまた、やはり『日本書紀』に詳しく書いてあるし、

 『新撰姓氏録』などにもその子孫たちの消息が詳細に記録されていて、

 『書紀』が書く素性が真実であることを、大量に立証し続けている。

 『日本書紀』誉田(応神)天皇十四年の二、

 「是の歳、弓月君 百済より来帰。因って奏して曰う。

  臣、己れの韓の人夫、百二十県を領して帰化せんとす。

  然るに新羅人これを拒むに因りて皆。加羅の国に留めらる。

  これを聞いて天皇は葛城襲津彦を加羅に派遣し、

  弓月の人夫を召させたが、三年を経ても襲津彦は帰って来なかった。」

 『新撰姓氏録』左京諸蕃上。

 「秦の始皇帝の十三世孫・孝武王の子・功満王、仲哀天皇八年来朝帰化。

  その子・融通王(弓月君)、応神天皇十四年来朝帰化。太秦公宿弥の祖也。

 『三代実録』

 元慶七年十二月、右京人・秦宿祢永原、秦言。

 秦氏は秦の始皇十二世孫・功満王の子・融通王の苗裔で、

 功満は占星して翌朝に深向、遠く日域を志したが、

 新羅が路をはばみ王都を隔てしも、陽を仰ぐ心、空しからず、

 天誅くだって罪人を伐ち、官軍塵を払って、

 百二十七県の人民、誉田天皇十四年、歳次・癸卯、ここに内属し焉わる也。

 『語句説明』 
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 『日本書紀』
 『新撰姓氏録』
 『弓月君』
 『始皇帝』
 『日本三代実録』

 『関連語句』歴史回廊(遷都)
 『秦氏』

 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

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(2008/04/29(火) 00:01)

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