,

   歴史回廊(遷都):オリエント(ウバイド・シュメル)
   言語復原史学会(加治木義博)の研究をブログとして掲載。リンクしている歴史徒然も!http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/
  >> ホーム
  >> RSS1.0
プロフィール

Author:mat29805213kane
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

訪問者数

カレンダー

06 | 2008/07 | 08
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

 男女で異なっていたイサナの真意

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録25
   :23頁

 だから履中天皇の場合も、

 イザナキは語源とは異なった意味に使用されている。

 彼は応神大皇の孫であり後継者なのだから、

 仏教徒の天皇だったことは動かない。

 国民からイザナキと呼ばれても、

 自分をシバの化身だなどと思うはずがない。

 それが事実だったことを証明する証拠が、

 彼の巨大古墳のある堺市に、地名として残っている。

 応神天皇が2人の神功皇后=卑弥呼か壹與か、

 どちらの子孫であっても、

 金髪のギリシャ系の血を引いていたことは動かない。

 今も京都の松尾神社や東寺などの神宝の女神像として

 残っている彼女らの木像は、

 御存知のようにイシス像を聖なる規範として造られている。

 イサ・イザは石の別名だったのだから、

 このイシスが役に立ったのである。

 彼等は女王をイシズと呼び、それに石津と当て字した。

 その遺跡が堺市の石津町である。

 石=イサ、津=ナである。

 ここまでわかると岐・美2神の

 「男尊女卑」説話が、何を意味していたか?
 
 という大学院講義録24でお話しした結論が、

 どんなに正しかったかが、改めて強く真実だと確認できる。

 イサナ王はシバを意味していた、

 彼は破壊の神として知られる恐るべき宇宙の支配者だ。

 イサナ女王は女神イシスを理想とする

 卑弥呼らの守護陣で、

 不殺生、慈悲、愛の仏教の象徴である。

 ご説明するまでもなく、

 それは戦争と平和との2大象徴だったのである。

 『語句説明』

 『日本の神の一覧』

 『履中天皇』伊邪木和気

 『シヴァ』シバ

 『イザナギ』

 『イザナミ』

 『応神天皇』

 『神功皇后』

 『卑弥呼』

 『壹與』台与

 『松尾神社』京都:松尾大社

 『東寺』

 『イシス』
 『男尊女卑』

 『関連語句』歴史回廊(遷都)

 『ウバイド』
 『フェニキヤ』

 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

 出典:Category:Mesopotamia - Wikimedia Commons
 『Category:Mesopotamia』

 『参考』
 歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都

 小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書

 オックスフォード大学東洋学科シュメル文学

 シュメール古代史:Ancient Sumer History in Mesopotamia

 『テル・コサック・シャマリ』

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『メソポタミア』
 『古代オリエントの地名一覧』
 『メソポタミア神話』
 『古代オリエントの用語一覧』
 『必見メソポタミア文明情報サイト』 

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

オリエントより日本への遷都(ウバイド・シュメル) | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2008/07/19(土) 14:31)

 イサナキとは何か?その真相と勝者の実態

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録25
   :22頁

 このビシュヌーと並ぶインド古来の大神がシバである。

 それを別名のイサナで呼んだ人々が

 日本列島にいても不思議ではない。

 彼等が王にその名を奉ったならイサナ王(キ)である。

 だとすれば歴代の王、すなわち天皇は、

 イサナキという尊称を必ずもっていたことになる。

 世界各地からの渡来者が混在していた日本列島では、

 記録者が変わると、そうした尊称も変わる。

 『記・紀』の編集者は、

 有りあわせの史料を拾い集めて編集したから、

 インド系の文献しか見つからなかった天皇は、

 イサナキという名乗りしか分からなかった。

 履中天皇がそれだったのである。

 というよりも、

 履中天皇が伊邪木和気と記録されている事実こそが、

 この推理が正しいという証拠なのである。

 しかし天皇たちは東征して新国民と和解し、国土を広げて行った。

 昨日までの敵地に入り、

 信仰も言語も異なる新地域に首都を置いて住み、

 さらに新たな敵地を改めて新国土の拡大を図らねばならなかった。

 聖武天皇が「三法の奴(やっこ)」と自称したのは、

 正にこうした辛苦を記録しているのである。

 決して彼が全身全霊から仏教徒だったのではない。

 むしろそんなことが特記されなければならなかった奈良の、

 特殊事情を考えなければならない。

 そこは聖徳太子=蘇我氏系の旧倭国が滅びた、

 怨念醒めやらぬ深刻な敵地だったからである。

 『語句説明』

 『イザナギ』

 『天之御中主神』『ヴィシュヌ』ミチュヌーシン=ミチヌウシん=道(みち)の(ヌ)大人(ウシ)

 『シヴァ』

 『記紀』


 『履中天皇』伊邪木和気

 『聖武天皇』

 『聖徳太子』


 『関連語句』歴史回廊(遷都)

 『ウバイド』
 『フェニキヤ』

 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

 出典:Category:Mesopotamia - Wikimedia Commons
 『Category:Mesopotamia』

 『参考』
 歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都

 小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書

 オックスフォード大学東洋学科シュメル文学

 シュメール古代史:Ancient Sumer History in Mesopotamia

 『テル・コサック・シャマリ』

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 『メソポタミア』
 『古代オリエントの地名一覧』
 『メソポタミア神話』
 『古代オリエントの用語一覧』
 『必見メソポタミア文明情報サイト』 

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

オリエントより日本への遷都(ウバイド・シュメル) | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2008/07/19(土) 09:21)

copyright © 2005 歴史回廊(遷都):オリエント(ウバイド・シュメル) all rights reserved.
Powered by FC2ブログ. / PHPウェブログシステム3 / ネットマニア
ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ 専門学校