オリエント歴史回廊(遷都):(ウバイド・シュメル)
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5400人の常備軍
 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
    第六章・「真の王」サルゴン
    ・最古の国際社会・サルゴンの功業
    :175頁

 サルゴン王はなぜシュメル地方の諸都市を破ることができたのだろうか。

 強さの秘密は常備軍を持っていたことであった。

 次に引用する王碑文にもそのことが書かれている。

 この王碑文もシュメル語とアッカド語の二カ国語で書かれ、

 後世の写本である。

 キシュ市の王、サルゴンは34回の戦闘で勝利を得た。

 彼は諸都市の城壁を海の岸まで破壊した。

 彼はアッカド市の岸壁にメルッハの船、

 マガンの船そしてティルムンの船を停泊させた。

 王、サルゴンはトゥトゥリ市でダガン神に礼拝した。

 ダガン神はサルゴンに杉の森(=アマヌス山脈)と

 銀の山(=タウロス山脈)までの上の17国、

 つまりマリ市、イアルムティ市そしてエブラ市を与えた。

 5400人が、エンリル神が敵対者を与えない王、

 サルゴンの前で毎日食事をした。

 (略)

 サルゴン王が毎日の食事を提供した

 5400人の兵士がいたことが書かれていて、

 王に忠誠を誓う戦士集団を育成していたことがわかる。

 メルッハはインダス河流域地方(エチオピア説もある)、

 マガンはアラビア半島のオマーン、

 ティルムン(シュメル語ではディルムン)は

 ペルシア湾のバハレーン

 およびファイラカ島周辺地域にあたるといわれている。

 三カ所ともに銅の交易拠点であった。

 また、マガンからは閃緑岩、

 ディルムンからは玉葱が輸入されていた。

 サルゴン王は常備軍の力によって、

 ラガシュ市やウル市に替わってペルシア湾を

 中心とした交易を掌握し、富を得た。

 ※ 写真:サルゴンの王碑文に「銀の山」と書かれている
     タウロス山脈のせまい峠道「キリキアの門」
     アレクサンドロス大上もここを通り、イッソスの戦いにのぞんだ

小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

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