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   歴史回廊(遷都):オリエント(ウバイド・シュメル)
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 高天原
 ○言語復原史学会・加治木義博:HIMIKO:50〜53頁
                大学講義録13:13〜14頁より

 古事記が注意書きで指示する「高天原」の正しい読み方

 『古事記』の本文の一番最初のところに、この「高天原」という名が出てくる。

 そしてその下に例の「割注」(マニュアル)が小さい字で書いてある。

 それを原文どおりに書いておく。

 「訓 高下天 云 阿麻 下効 此」

 これは「高の字の下の天の字は、オマと読む。

 これから後も同じょうに読め」という意味である。

 「高天原」という三字が書いてあって、はじめてこれを読む人は、何と読むのか分からない。

 漢字音で「コーテンゲン」と読むのか、和訓(日本よみ)で「タカアマハラ」と読むのかと迷う。

 そこで「コー」「テン」「ゲン」という三字のうち、高の字の下の「天」だけを漢字音ではなく、

 「日本よみ」で「オマ」と読んでください、というのである。

 これは今「重箱よみ」といっている読み方である。

 捨てておけば「コウテンゲン」か「タカアマハラ」としか読まないから、

 そうではなく「コー・オマ・ゲン」ですよと、特殊な重箱よみをしてくれと、

 わざわざ注意書きをしてあるのである。

 ところがこれまでは「タカ・マガ・ハラ」などと、全然この注意を守らないで平気でいた。

 「天」を「オマ」と読まずに「マガ」などと読むだけでなく、

 「コー」を「タカ」、「ゲン」を「ハラ」と、全部まちがった読み方をしてきたのである。

 『古事記』を書いた本人が「こう読んでください」と、

 わざわざ書いた「地名」をまちがったデタラメな読み方をしていては、それがどこか分かるはずがない。

 神奈川をジンナセンといったってだれにも分からない。

 「メイフルオク」といわれて、すぐ名古屋だと分かる人がいなくても当たり前である。

 それでも日本人で名古屋を知らない人はいないから、少し考えるとナゾは解けるが、

 「高天原」のほうは今でもどこのことか分からない、人の知らない地名だったのである。

 当て字を書いた本人以外、何と読むのか、どこのことか、だれも知らないのだ。

 しかし「コー・オマ・ゲン」と正しく読んでも、まだよく分からないと思う。

 ところが先に説明したように、この記事の部分は、南九州より南の地域での歴史だから、

 三母音の沖縄語で読まねばならない。

 を除いて「コー」は「ク」。
         「オマ」は「マ」。
         「ゲン」は「ギヌ」と読むと

 「クマギヌ」、沖縄の人ならすぐ「熊毛の」だと分かるのである。

 熊毛(クマゲ)というのは、屋久島と種子島など島々ばかりの、

 鹿児島県の南の海上の郡の名になっているし、山口県にも同じ名の郡がある。

 天照大神が山口県にいたという記録はないが、

 ニニギノミコトが「アマくだった」のが鹿児島の高千穂の峰だとされているから、

 その南方の熊毛地方なら地理的にもぴったりだ。

 これで古来、日本の歴史で最高のナゾとされてきた問題

 「高天原はどこか?というナゾ」は完全に解けた!

 それは『古事記』筆者が、せっかく親切に書いておいた注意を、

 まるで実行しなかった連中の、ばかげた読みソコナイがナゾを作りだしていただけで、

 なんのことはない、ごく分かりやすい地名への簡単な当て字にすぎなかったのである。

 ではなぜ『古事記』筆者は「熊毛」と書かなかったのだろう?

 それは彼にも本当のことが分からなかったからである。

 その筆者は『古事記』の序文を書いた「太安萬侶(おおのやすまろ)」だとされているが、

 その序文にはこう書いてある。

 「稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗唱する古いお話を細かく拾い集めて編集しましたが、

  昔の言葉は素朴で、それを文章にするのに苦労しました。

  そのまま書いても何のことか分からないでしょうし、そうかといって詳しく説明していては、

  長ったらしくて読みづらいでしょう。

  だから便宜上、重箱読みも使うし、「音」だけを万葉ガナで書くこともしたのです」

 今、私たちが疑問に思ったことを全部説明している。

 彼はヒエダのアレが暗記していた話を、同時通訳して、それを元に『古事記』を編集しただけだったのだ。

 だから「アレ」の言葉がなにを意味するか、分からないまま「音」に当て字したものも多かったのである。

 天照大神の政府が天空のどこかでなく、熊毛の島のどこかにあったことが、これではっきりした。

 では、彼女はその島の出身だったのだろうか。

 『記・紀』には次にように書いてある。

 イザナキ(伊弉諾)イザナミ(伊弉冉)のミコト(尊)が日本列島と山川草木を生んだ後、

 日の神を生みオオヒルメのムチ(大日霊貴)と名をつけた。

 一書では天照大神だという。

 その子は光り輝くように明るく美しく国中を照らしたので、二人の神様は喜んで

 「子供はたくさん生まれたが、こんなに不思議な子はいない。

  いつまでもこの国に置くより、早く天に送って、天上の仕事をさせよう」といった。

 そのころはまだ天地の距離が短かったので、天の柱を使って天上にあげたのである。

 次に月の神が生まれた。

 一書では月弓の尊、月夜見の尊、月読の尊という。

 その光りは日に次ぐので、日にそえて天上を治めさせようと、また天に送った。

 次に淡島とヒルコ(蛭児)を生んだが、蛭児は三年たっても足が立たなかったので、

 アメノイワクスフネ(天の磐楠船)にのせて、風のまにまに流して捨てた。

 このあとにスサノオのミコトの話が続くが、それは今は省略しておこう。

 それならなぜ、月の神やヒルコのことまで見たのか?

 その理由は次のページですぐお分かりになる。



 高天原という当て字は、

 『古事記』の割り注では天だけを日本読みして

 「阿麻=アマまたはオマ」と読め、と書いてあるので、

 高はコーかク、原はゲンと漢音で読まなければ間違いである。

 しかし「コーアマゲン、コーオマゲン」と読んでも何のことかよくわからないが、

 「コーオ」を母音のオがない沖縄発音で「ク」と読むと「クマゲン」だから「熊毛ン」国、

 すなわち「熊毛の」国という鹿児島語になる。

 屋久島と種子島は現在も、「熊毛郡」すなわち古代の「熊毛のクニ」を構成しているのだから、

 この「高天原=熊毛の」は何人も絶対に否定できない不動の史実なのである。

 言語復原史学は、

 このように「不動の史実を復元する学術」なのだということを忘れないでいて戴きたい。

 あいまいな想像説や、思い付き説を引用して「誰々は、こう言っている」などという論文は、

 言語復原史学ではなく、混乱を持ち込むだけの学敵なのだと言うことを、

 はっきり認識していなければならない。

 決して崩れることのない「完全な証拠による整った復元史実」だけが、

 史学が求め続ける目的であり、それが学問の「業績」なのだ。

 今確認した、この絶対に否定できない「高天原=熊毛の」は、

 このことのサンプルとして最適なので、くどいようだが、繰り返してお話しした。

 心によく焼き付けておいていただきたい。

 高天原の名が今も熊毛郡として現存する。

 それだけで高天原が実在した証拠は充分だが、私たちはさらにそれを完璧にするために、

 数学の「検算」に当たる検討を加えて、より強固に補強することを忘れてはならない。

 そのサンプルもご覧に入れよう。

 高天原はクマゲンだから、沖縄語にはない e 母音をもつ「ゲ」が混じっている。

 沖縄語では毛はキまたはキーと発音するからこれはギかギーになる。

 すると『古事記』に天照大神と並んで登場する「高木の神」、

 とは「高国木(クマギ)」の「国(マ)」を省略した名で、熊毛王という意味であり、

 「高族の首長、熊毛国の国家元首」を意味する。すでに前もって検討済みのとおり、

 この「キ・ギ」はイザナギの尊などの例にみる男王を意味する性語尾である。

 これと対立する女王を意味する性語尾は、

 沖縄語なら「ミ」、

 鹿児島語なら「メ」だが、

 高天原の場合は少しちがっている。

 『古事記』筆者が、

 わざわざ強調した割り注の特記事項は「天」は「阿麻=アマかオマ」と読めということだった。

 このうちの「アマ」は間違いなく女性を意味し、「尼」という意味にうけとっても、

 やはり女性を意味する特定用語である。

 とすれば高天(アマ)原は高女(アマ)原で、女王国家だったことを強調しているのである。

 これで『古事記』筆者は、

 女王国家を正統だと主張するこだわりをもった倭国側の人物だとわかるのである。



 ●岩波文庫「日本書紀」補注より

 神代説話を歴史的事実の譬喩的叙述と解する立場から、これを特定の地理上の場所に比定する考え方が古くからあり、

 その場合国内に比定するものと国外に比定するもの

 (国外に求めるものは皇室の先住地という考えを前提としている) ことがあるが、

 神代説話の性格を神代のように考えるとすれば、前述のごとき比定はその発想において非科学的とせざるを得ない。

 神代説話の全体の性格より考えるならば、高天原もまた、説話の神話的側面と政治思想的側面とからあわせ

 解するのが学問的である。

 岡正雄は民俗学の見地から、神の出現を垂直的に表象する神話の源流を、

 朝鮮半島から中央アジア・シベリアの諸民族に求め、高天原を北方系の神話の要素と認め、

 松村武雄も比較神話学の立場からこれに同調している。

 説話をその示すままの形で受取るかぎりこれを「天」と解すべきであるとした記伝の主張が、

 現代の神話学の立場からも肯定されたわけである。

 高天原の主宰者天照大神に太陽神の性格がある以上、その居処である高天原は当然天上でなければならぬであろう。

 しかし、高天原が天上世界の性格をもつにもかかわらず、記伝がいみじくも注意したとおり、

 高天原が「山川草木のたぐひ、宮殿そのほか万の物も事も、全(もはら)御孫命の所看此御国土の如くに」

 記述されている点は、その神話的性格とは別に、神代説話の政治思想的構造からの理解を必要とする。

 高天原を皇都に比定する解釈は古くから存在したが、

 津田左右吉は、高天原が皇祖神の都として構想されていると認め天香具山・天高市・天安河など、

 大和に実際にある地名やその状態がそのまま高天原説話中に点出されていることを指摘し、

 高天原は大和を天上に反映させたものであると考定した。

 天照大神は太陽神であるとともに皇祖神であり、神代説話の中心人物としてはむしろ皇祖神の側面に重点が

 おかれているのであるから、その居処である高天原に、

 皇祖神観念の母胎である天皇の居処大和の現実が反映しているのは、きわめて自然である。

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

『記・紀』の解説 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2008/02/17(日) 00:45)

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