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| 神代 |
○言語復原史学会・加治木義博:邪馬臺国の風雲:113〜115頁より
「日本書紀の成立過程」
『古事記』には有名な「序文」があって天武天皇の命令で編集を始めたと書いてあるが
『日本書紀』には序文がなく本文だけで、作った理由も、いつ作ったかも説明抜きだ。
その一見「歴史記録ふう」な体裁からみて、編集者の心理に
「後世の作品とわかっては作り物めいて権威がない、古くから書き継がれたと思わせたい。
だから序文をはぶき、ほかの一切の説明も省いた」という気持ちがみてとれる。
この点、反対に麗麗しく「序文」で、それを書立てている『古事記』は、かえっておかしく、
和銅の年月日が権威をもつ程、後世の「偽書」で、作り物である正体を、
自分で暴露しているようにも見える。
『日本書紀』には、その天武十年(682)三月の部分に、
天武天皇が「川島皇子、忍壁皇子ら十二名に命令して、
『帝紀』および『上古諸事』を書かせた。」という記事がある。
次に持統五年(298)八月。
持統天皇が「大三輪ら十八氏に、
各氏族が伝承している[その祖らの纂記(祖先の記録)]を提出させた。
とあり、『続日本紀』に和銅七年(714)二月。
元明天皇が「紀の清人と三宅藤麻呂に国史をまとめるよう命令した。」などとあるのが、
多分この『日本書紀』の編集過程であろう。
といわれている。それが日記のように時を追って古代から書き継いだ、
本当の意味の「歴史記録」でないことは明らかである。
『続日本紀』に、
「養老四年(720)五月二十一日、舎人(とねり)親王らが元正天皇に
『日本紀』(紀三十巻、系図一巻}を撰上した。」 と書いてある。
一字少ないし系図一巻もないが、『日本書紀』も三十巻であること。
古書に『日本紀』引用とある部分が、『日本書紀』の内容と同じであること。
天武十年の命令に『帝妃』とあるのが『系図』に、『上古諸事』が『紀』三十巻に一致すること。
などから、その『日本紀』が、『日本書紀』であることは、まず間違いないとされている。
ただし天武紀の「上古」という二字は見過ごせない。
上古とは古い時代を指す限定詞だから、命令では古い時代だけが編史の対象だったのである。
ところが今の『日本書紀』を見ると、天武天皇の次ぎの持統天皇紀まであり、
天武当時からみれば 「上古」どころか、現代史も未来史も入っている。
これは持統紀だの[祖らの纂記]の[祖ら]でも同じことがいえる。
この[纂記]を「ツギブミ」と誤訳したことから、
古くから書き継がれてきた歴史記録と錯覚され、
『日本書紀』はそうした記録による真実の歴史書だと多くの人が信じた。
しかし[纂]は、糸を沢山集めて幅広に編んだ「打ち紐」のことである。
だから「集める・編む」で、「継ぐ・接ぐ」の意味はない。
[集めたフミ]が正しい訳である。
『後漠書】に「纂承(集めて受けつぐと)」という語があるが、
<ツグ>は「承」の字の方がもつ意味なのだ。
無学な人間が[纂記]を「ツギブミ」と訳した。
この一見小さな誤訳が、『記・紀』は正しく神聖で、絶対に批評の許されない『神典』だと、
極端な国粋主義犯に口実を与えた。
彼等はその口実を使って暴力を振い、
絶対権力を握る道具として天皇を悪用し、政治、外交を曲げ、世界を敵視し人権を無視して、
国民を強制的に殺人道具にし、
人類を未曾有の惨禍に巻きこんだ挙句、結局「大日本帝国」を滅ぼしてしまった。
ドイツの悪魔ヒトラーと同一の、信じられないほど愚かで悪逆な亡国奴を生みだした元凶、
それがこの「ツギブミ」の誤訳だったのである。
持統天皇が提出させた実際の『十八氏の祖等の集めた記(フミ)とはどんなものだったか?。
それは『日本書紀』の中に、ぱらばらになって吸収されていて、そのままでは原型は分らない。
「祖等」という限定詞は古い伝承を意味するから、
『日本書紀』の最初の部分
「神代」を見てみよう。
そこには「一書曰(いわく=言う)」と書いて、
本文とは別の内容をもった記事、多いものは9種類も書き添えてある。
昔話は時とともに変型するが、一人の話し手が10種類もの別話を語ることはない。
これは各々の話し手が、自分の話が一番正しいと主張した形になっているので、
あちこちから別々の伝承を沢山集めたものだとわかる。
だとすれば間違いなく、これが十八氏の伝承した『租等の集めた記』である。
十八氏の租等の集めた伝承は、おとぎ話しのような「神代紀」だけでなく、
生ま身の先祖たちの記録もあったこと、それもまた各氏族で異なっていたことが、
「神武紀」と「崇神紀」を比較してみた私たちにはよく分っている。
ところが「神代紀」には九つもあった「一書曰く」が、
「神功皇后紀」は例外だが他の天皇紀にはごくわずかしかない。
各氏族が必ずもっていたはずの伝承は、持統天皇らに消されてしまったのであろうか。
実は私たちは、もうその答もよく知っている。
「神武紀と崇神紀」とは、ただ一つの同じ事件だったのに、初代と十代とに引き離されていた。
各氏族の伝承は「一書」としてではなく、
別の「天皇紀」として独立して編集されていたのである。
『日本書紀』とは「神代紀」が立証している通り、
『十八氏纂記』に多くの情報を提供してもらった重要な「記録資料集」である。
ただし「記録」のつなぎ方が出鱈目で、時間帯が滅茶滅茶になっているため、
そのままでは到底「歴史書」とはいえない本である。
そこから真実の歴史を引き出すには、神武と崇神との内戦を立証したような大整理が必要である。
●岩波文庫「日本書紀」補注より
紀の巻一・巻二、記の上巻はふつう神代と呼ばれる体系的な説話としてまとめられている。
それ故ここではその神代説話の全体的性格について説く。
記紀が神代の物語から筆を起こしているために、後世まで日本の歴史は神代から始まるとする思想が永く継承された。
神代をことさらに除外し、人皇の代から起筆している例外としては、
わずかに扶桑略記や大日本史等の僅少の例を数えるにすぎない。
明治以後、昭和二十年までの学校の歴史教育においても、日本の歴史は神代から始まるものとして教えられてきた。
これに対し、江戸時代にすでに神代を以って後人の作為した説話とみる見解が現われ、
大正から昭和にかけて大成された津田左右吉の記紀批判において、
そうした方向にそう考え方が精密な学問的結論として立証されるにいたった。
それによれば、「神代」とは、天皇が現人神として我が国を統治することの由来を、
純粋に神であったという祖先の代に求めた結果として設定されたもので、その神代を祖先の代としたのは、
皇位が世襲である現在の事実を基礎として、思想上、それを遠い過去に延長したものに外ならぬ。
それは皇室の地位が鞏固になって以後、おそらく五世紀以後に大和朝廷において、
思想の上で企てられた国家成立の由来に関する政治的主張であって、 それにより、現実の国家を正当視しようとしたものである。
歴史的事実の記録でないのはもちろん、民衆の宗教的信仰の産物でない点において、
ふつうの意味での神話でさえない。という。
この見解は、神代の物語の全体的な構造と基本的性格について説かれたところであり、
としてその内に民間説話や宗教信仰を反映した要素をふくんでいることは認めているのであるから、
大体において今日広く学界に支持せられているが、神代史非神話説には異論もある。
たとえば松村武雄は、朝廷の想案が説得力をもっていたのは、
当時支配的であった神話的思考に合致していたためであるという理由で、 神代説話の全構造はまさしく神話の名にふさわしいものとした。
ただし、松村のこの主張は、津田の作為説を承認し、
ただその作為が神話的思考法にしたがっているいことを重視する点においてのみ津田と見解を
異にしているにすぎないのである。
なお書紀巻一・巻二及びそれ以下の巻巻を通じて、カミノヨと訓むべき所は、巻一初頭の「神世七代」以外に無い。
卜部家本の巻一・巻二は一書を一字下げ大字で書くなどの特徴があるが、
この系統では改行して「神代上」「神代下」とある。
しかし、一書を二行割注の形式で書写した古写本、たとえば、舟橋本では「神代上」「神代下」は、
「日本書紀巻第一」の下に小字で注として書かれているだけである。
巻数の下の注記は、他の巻巻の漢風諡号にあたる。
従ってこれは、後で加えられたもので、「神代上」という標目は、
書紀編纂当初には無かったものかもしれない(奥村恒哉)。
なお研究を要する所である。
テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術 |
『記・紀』の解説 | 固定リンク
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(2008/02/18(月) 00:20) |
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コメント
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日本書記の読み |
いつも楽しみ読ませていただいております。
ひとつ疑問なのは『日本書記』のよみについて
日本をニホンと読ませてますが、ヤマト朝廷というのは
元来、遣隋唐使を派遣した時から中原の漢音を
推奨してたはずなのに国史である『日本書記』を
ニホンショキとか読ませてる理由がよくわかりません。
漢音ならジッホンショキですよね。
なぜ呉音になったのでしょうね。
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| URL | こういち #- | 2008/02/18(月) 11:38
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