歴史回廊(遷都):オリエント(ウバイド・シュメル)
言語復原史学会(加治木義博)の研究をブログとして掲載。リンクしている歴史徒然も!http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/
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建国の大理想を根底から破壊する幼稚本の実例

 出典:加治木義博『言語復原史学会』大学院講義録27:26頁


 だから今、出雲や各地にある<大国主>を祭る神社は、

 本質的には前君主をしのんで建てられた御霊(みたま)の(よ)拠りしろであって、

 そこへお参りするたびに、

 以上のような先人の知恵を想い出し、

 戒(いましめ)めとするための、英知の産物だったのである。

 しかし賢者ばかりはいない。

 時代とともに物知りぶった連中が、

 根拠もなしに勝手な解釈を人々に押しつけて、

 その社に祭られている本当の神霊を冒涜し、

 偽物の名を並べたてて化け物の住みか同然にしてしまっている。

 それをさらに先の原田某のように、

 売本に仕立てて売るという者まで現われるのが実情である。

 それは4大文明の結晶として

 天皇家が生まれた

 英知の結晶『神道』を、

 まるで田舎の野蛮な迷信の野祠(ほこら)同然のものに貶(おとし)め、

 天皇家の大理想を根底から破壊しているばかりでなく、

 住民も迷信としてかえりみなくなり、

 荒廃にまかせる悲惨な状況を助長しているからである。

 彼は大国主をこう説明している(『古代日本正史』342P)。

 *出生年は、

  大体160年頃と推定される。

  出生地は出雲の隅々敷谷(くまぐましきや)、

  現在の飯石郡三刀屋(みとや)町熊谷である。

  ここは、あとでわかった大国主の館の跡

  三刀屋町給下(きゅうげ)から南に下りた場所である。

  父母は不明。

  180年頃、

  素佐之男尊の末子、相続人である

  須勢理(すせり)姫の養子になり、

  素佐之男の死後、出雲から日向まで、

  つまり、

  山陰地方から九州全土まで広大な国を相続して大国主と呼ばれた。*

 『関連』

 『社団法人 日本オリエント学会』

 『地図』

 出典:小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

 出典:Category:Mesopotamia - Wikimedia Commons
 『Category:Mesopotamia』

 『参考』

 歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都

 小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書

 オックスフォード大学東洋学科シュメル文学

 シュメール古代史:Ancient Sumer History in Mesopotamia

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 『メソポタミア』
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